愛のどうしようもならなさについて_『さらば、わが愛/覇王別姫』、そして『マイ・プライベート・アイダホ』 

昨日は『マイ・プライベート・アイダホ』を観た。
今日は、『さらば、わが愛 覇王別姫』を観た。

これらの二作品に、人間関係の果てを 
まざまざと見せつけられてしまった気がする。

なんのけなしに適当に選んだ二作品が、偶然に似ていた。
二つとも、愛のどうにもならなさの映画でびっくりしてしまった。

愛のどうにもならなさ、私自身がここ最近で抱えきれずにボロボロこぼしまくってた主題でもあり、答えを求めていたものでもあり、苦しんでいたものの正体でもあった。
私の人生で、愛がどうにかなったことなどない気がするので、思えばこの主題は特にずっと抱えていた気もする。


そして私はその偶然にも連続でみた二作品で、
愛のどうにもならなさは、どうにもならないんだということを見てしまった気がする。

愛のどうしようもなさで、人は切なさで爆発して、身体が動いてしまって、暴れたり、我慢したり、耐え忍ぶ。そのまま死んだりしてもいい。というか死ぬしかない。それまで抱え続けるしかない。


だから、私も、映画を見て特に何かがスッキリしたとかでもなく。
そうか、そうやって生きるんだな、と諦観してしまった。
しかし映画の中の彼らは美しかった。だから、私も何か少し美しいといいけれど、という祈りだけをほんのりと抱いた。

各映画についてもう少し書きたい気もするのだけれど、今日は眠いからここで辞める。もし気が向いたらその日に追記をしよう。

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