あなごクエスチョン

年末大掃除の一環として、下書き保存してた文書を供養します。
以下は、2020年10月に下書きしていたものです。
Twitterで宣言した通り、一切の編集なく引用します。恥ずかし。

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割と最近の他宗破折書として有力と思うのが『諸宗破折ガイド』ですが、従来の説だと破折にならない(ちょっと詳しい人が相手だと返り討ちに遭いそう)と思うことがいくつかあります。

これをアップデートするための疑問を書き連ねます。私は答えを出せていないので、Twitter(@hokkebu1)でも、ここのコメント欄でも「こうすれば破折になる」を教えてくれたら幸いです。言い訳っぽくない、自己矛盾のない気持ちのいい破折が良いですね。諸宗破折2.0!

※海外のため、手元に諸宗破折ガイドがないため、こちらのサイトより引用させて頂きます。

対臨済宗・対曹洞宗の箇所

『大梵天王問仏決疑経』は古来より、偽経(ぎきょう=後世のニセモノの経典)とされているのです。このような偽経をよりどころとする禅宗は、仏教宗派として信用に値しません。もともとがウソ・偽(いつわ)りから始まっている宗派なのです。

偽経を理由に他宗を責めるならば、『無量義経』の「四十余年には未だ真実を顕さず」が利用不可になりませんか?とりあえず、偽経を拠り所として正統性を主張している現在「仏教宗派として信用に値しません」ということになってしまいます。綺麗にブーメランだと書きました。「無量義経は偽経じゃない」と言いたいのは分かるのですが、それならば、『大梵天王問仏決疑経』を理由に責めるのは引っ込めないとアンフェアじゃないですかね?

本尊論について

大石寺の教学においては、何と言っても本門戒壇の大御本尊の唯一正統性がキーになります。三大秘法も本門の本尊に約されるとのこと。それはそれで正しいということで信じるのは何ら問題ないのですが、他を責めるにあたって根拠が弱い箇所があります。

開目抄「天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」について

本尊を久遠実成の釈迦如来とすることから天台宗を除外したのであれば、日蓮聖人が言うところの本尊は久遠実成の釈迦如来を指すことになります。本尊として他の何かを同時に指している可能性もあるにせよ、このご遺文をもって「<本尊=久遠実成の釈迦如来>を否定する」というのは無理筋ではないですか?

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以上が2020年10月に下書きしていたことですね。全然途中だし、文が酷い。けど公開しちゃう。

この感じで、色んな宗派・教団への「破折ロジック」について、脆弱性と思しき点を挙げていこうと思ったんですけどね。
基本的に、創価学会の折伏教典からアップデートされてない印象だったので。

本編

せっかくだから、ここから本編ということで今日時点の問題意識を書きなぐっておこうと思う。

例えば五重相対

五重相対ってあるでしょ?

①内外相対
②大小相対
③権実相対

④本迹相対
⑤教観相対または種脱相対

④とか⑤は、日蓮門下同士で議論を深めたら良いと思うのですが、①〜③って日蓮門下の外に向けて説得するための考え方ですよね?

鎌倉時代の日本は仏教国であり、大乗教の国であり、仏教界は比叡山の教学をベースに議論できる状況だった訳ですよね。だから①〜③が成立したと思うのですが、現代は違いますよね。

日本の宗教界には大乗仏教ではない仏教が入ってきて、世界的に広宣流布するのであれば、聖書やクルアーンにも対応せねばならない。

上述の折伏教典や破折ガイドのような書籍も同様だと思うけど、「神は因果の道理に基づいていない(神の発生原因を説明できてない)からダメ」みたいな表現をもって破折としてるでしょ。

これ、本当に破折になってると信者さんは思ってるんですかね?

「そんなら、久遠元初自受用報身如来の発生原因は何?」ということになると思うんだけど。

「久遠元初自受用報身如来の発生原因を説明してくれ」と言ってるんじゃなくて「発生原因を説明できないなら、同じ理由で聖書の神を否定できないでしょ」と言っています。

「当該団体の上層部は『そういうロジックで騙せるくらいにリテラシーが低い信者』を増やしたいのか?」とか邪推しちゃうんですよね。

後者だったら、相当悪質だと思うんですけど。

こんな感じで「五重相対をベースに昭和期に作られた破折ロジック」は、2020年現在ではかなり脆弱なものになっていると思うのです。

日蓮の思いや認識を知るために、五重相対という考え方を各組織で保持する必要はあると思うのですが、現代において教学的な破折を試みる(あるいは、そういうことを信者にやらせる)のであれば、破折ロジックをもっと洗練させる必要があるのかなと。

私は「こんな理屈で人に勧めるとか、やってられっか」みたいな気持ちもあって離れたのですが、20年経ってもアップデートせずに昭和の破折理論を撒き散らす方を良く見ちゃうんですよね。

それがむず痒くてこのクソみたいな文章を書きました。
なんだろ、すげー恥ずかしい思いをしたから封印していた記憶を目の前で再現されてる感覚なのよ。

日蓮門下の皆さんはどう思いますか?

以上は、日蓮本仏派の一部の方のような「在家が他宗教の信者を破折する」姿を取り上げた文章にしてますけど、そもそもそのあり方が正しいと思っているわけではありません。

摂受折伏大論争についてここで触れることしませんが、「破折路線を正とするならば、上記のような屁理屈をへし折らねばならない」と思うのです。

なぜならば、私は非常に心清らかで素直な人間なだからです。
「私なんかよりもよほど屁理屈の上手い人が世の中にゴロゴロいる」と言いました。

私みたいな戦闘力たったの5のゴミを倒しても、戦闘力が万単位のZ戦士がいくらでもいるということであり、Z戦士を救えないってどんな宗教なのん?と。

法華経では声聞も救いの対象になっていると。だけど信がなければ救われない的な感じでしたよね。

「だから、信のない者はとりあえず捨て置くのだ」ですか?

それならそれで良いのですが、その場合は「自派の正しさを主張する姿勢」も捨て置かないと自己矛盾ですよね。

この件、みなさんはどう思いますか?

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