伝承とか情報とか検証とか

Twitterの日蓮法華界隈で、代々法華を名乗る方が「一般の日蓮正宗信徒(法華講員)さんの主張とは異なる教義」を展開していました。

このことで、界隈が結構ザワついたのを覚えています。

それは、一見すると「一般の法華講と代々法華それぞれに向けた、2つの教義体系が日蓮正宗に存在する」ということを示すものです。
ザワつきの中には「世間で知られていない秘義が何かあるのか!」というワクワクもあったことだろうと思います。

また、その方が旧華族を名乗っていることもあり、貴重な情報を読めるという期待感もあったと思います。そういう方と話す機会はなかなか無いですからね。

私はワクワクした一人です。

ここで、ちょっと話がずれますけど、私は若い時に柔道をやっていました。その柔道のルーツを知りたくて古流柔術について書籍で調べたことがあります。

すると、「ある流派における究極奥義は身体操作ではなく密教的な何か」だと書いてあるんですね。
柔術と密教、普通に考えると無関係なそれらが結びついている。そういう記録や伝承が残っていたりすると。

現代人的な感覚では成立し得ない何かが存在するって、ロマンがあるじゃないですか。

代々法華の方のお話にも、私は同じようなロマンを感じました。
そういうロマンある情報や言い伝えというのは確かに存在するのでしょうねと。

だけど、いかにそれが真実であるとしても、一般人がアクセスすることはできないものです。つまり、検証ができない。

日蓮法華界隈で話題になることって、いわゆる文証が求められるじゃないですか。

主張Aがあれば、「それはどの文献が根拠となるのか?」が常に問われます。基本的に情報というものは真実性が問われるため、根拠の確認というのが必須になります。

もちろん、ロマンだけの夢物語であれば根拠なんて不要なのですが。

同じ方々のお話で「(世間的には創価学会員とされている)石原さとみさんが日蓮正宗に改宗した」というのがありました。

これについては彼女の同級生の筋その他で「2020年現在も創価学会員である」との情報を複数頂いており、明確に矛盾します。

個人の信仰が何であるかを追求するなんていうのは野暮なことではあるのですが、前述のロマン溢れる話の真偽を推測する材料にもなると思い、石原さんの件について情報源を伺ったところ、それは故人からの伝聞情報とのことでした。

※この件については「彼女はいざこざを避けるために非公開を望んだ」という事情も教えて頂きましたが、冷静に考えると「本人が非公開を望んだにも関わらず、情報元の方が亡くなった後に不特定多数が閲覧できるTwitterで公開する」というのはどうなのかな?という疑問が生じました。旧華族のような家柄の方が、そんなことを簡単に話すものなのかな?と。もちろん、聞いたのは私ですから教えて頂いたことには感謝しております。※

亡くなった方の伝聞よりは、現在生きている方の情報の方が正確だろうと私は推測します。その場合、石原さとみさんが日蓮正宗という説は偽ということになります。

その方の過去のツイートを読ませて頂いたところ、前述の「法華講とは異なる日蓮正宗教義」についても、その情報源が故人であるか、一般人が閲覧できないと思しき文書、あるいは口伝えによるものでした。

旧華族という点についても、その真偽を一般人には確認ができない。というか、確認できる方法があるのかも私には分からないです。特に私は明治期の身分制度的な何かとは無縁の生き方をしているので。

「代々法華に伝わる、一般には知られていない大石寺」というのは存在するのかも知れません。
古流柔術と同様、一般に見えているものだけが全てではないと。特に、伝統的な何かにはそういう要素が少なくないことは理解します。

しかしながら、検証できない情報というのは結局のところ私にとって存在しないに等しいんですよね。
だから、冒頭の情報について、今のところは一種のロマンや夢物語ということで理解しようと思います。

この件、ご存知の方も多いと思います。みなさんはどう思われますか?良ければ聞かせてください。

※その元華族の方は本名を名乗っておられます。一方の私はHNなのですから、「当該情報を信用できない」という言い分は成立しないと考えます。そういうことを言いたいのではなくて、「私あるいは一般人が正しさを検証することができない情報があるのだなぁ」というのを言いたい記事です。※

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