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感性について

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<etml:lang=ja>
<body>

この記事は、
<declaration:dairy>
 <identify:私="&&&&&">の、
 <time:JST=2021/10/25 22:13:25>における、
 <doc:感性についての覚書>
</declaration>
である。

と、伊藤計劃『ハーモニー』っぽく書き始めてみる。
こんな記事を誰が読むのだろうか。
これを今書いている私でさえ、

<i:他人が何を考えているのか>
<i:相手がどう思っているのか>

ほとんど興味がないのである。
(興が乗って聞いてみたところで、抽象的な方向に話が進むにつれて実感が湧かず、退屈を感じ始め、表情を真剣そうに保つのでさえ難しい。)

では、読む可能性があるのは将来の私だけであろうか。
それでも書きたいと思ったのは、

<major:何を考えているのか、どう発信するのか>
がおよそ求められる全てである子に時代に、

<suggest:何を感じるのか、受け取ったことについてどう考えるのか>
ということについて考えてみることにしたからだ。

学術的なレポートであればまず、
<c:感性の定義>
<c:感性を成立させる情報の媒体 ex=言葉,映像,音楽>
などの条件や性質を論じなければならないのだろうが、
面倒なので省略する。

さて、最近「感性」について考えていたことを書くとしよう。
まずは時代性のあるものが良いだろうか。鬼滅の刃とか。

「頑張れ!!人は心が原動力だから心はどこまでも強くなれる!!」
(鬼滅の刃 第53話「君は」)

このアニメに流れる大正イデオロギー<ex:家族愛,立身出世>には、
あまり共感できるところがないのだけれど、
人間は心が原動力ということについては考えてみる価値があるように思う。

もっとも、心自体が原動力なのだとしたら、
生まれた時に持っていたエネルギーを使い果たしてしまえば終わりである。
頑張ってどうしろというのだろう。
ここは、「人は心が原動『機』だから」であるべきだろう。
(語呂が悪くて言えたものではない。)

もし、人間が何かに感銘を受けて行動に移れるのだとしたら、
それは俗に言う「アンテナ」を張っている必要がある。
心というエンジンが錆びついていればエネルギーを与えても台無しである。
感性は常に研ぎ澄ましていなければならない。

善ってなんだと思う。
困っている人を助ける、とか仲良くする、とか、傷つけないようにする、とかそういうことじゃないよ。確かにそれもあるんだけど、そういうのはあくまで「善」の細かいディテール。良いこと、善、っていうのは、突き詰めれば「ある何かの価値観を持続させる」ための意志なんだよ。
そう、持続。家族が続くこと、幸せが続くこと、平和が続くこと。内容は何でもいいんだ。人々が信じている何事かがこれからも続いていくようにすること、その何かを信じること、それが「善」の本質なんだ。
伊藤計劃『ハーモニー』p.179

次に、冒頭で登場した『ハーモニー』の中の一節。
折に触れて、この言葉を思い出す。
けれど、一方で

<list:item>
 <i:これまでの価値観に革命を起こすもの>
 <i:夜明けを待つ心に風を吹かせるもの>
</list>

というものも、振り返って見れば「良い」ものだと思えるかもしれない。
決して「好き」などの単語では形容できないものだろう。


最近、よく映画を見るようになったが、
そのきっかけになったのはNetflixで見た、
「太陽を盗んだ男」(1979)であった。
<link rel="library/movie" title="The Man Who Stole the Sun" directer=""長谷川和彦 EAN:4527427626430 >
(これも前に見た「東のエデン」(2009)の影響が大きい。)

木戸誠

<story="沢田研二演じる木戸誠が、原子力発電所からプルトニウムを盗み出し、原子爆弾を作成して日本政府に脅しをかける。">


気に入ったのは、
<list:favorite>
 <f:主人公の親世代に対する反発>
 <f:社会に対する倦怠感>
 <f:生身の人間の衝動と衝突>
</list>
などと言葉で表してみる。
一言で言えば、痛快なのであった。
他にも色々映画を漁ってみたものの、多くは当たらない。

映画評論というものにも手を出してみる。
<quote: ポーリン・ケイル(1980)『明かりが消えて映画が始まる』>
<link rel="library/books" title="When the Lights Go Down" author=" Pauline Kael" ISBN:4-7942-1192-9>
</quote>


彼女の直接的なメッセージは翻訳を通しても伝わってくる。
映画に対する愛情、熱烈な思いは素敵だと思う。
ワンカットから見出す彼女にとっての映画の「意味」が魅力的だ。
こんな感性とともに人生を味わいたい。

書くのに飽きてきたのでもう省略するが、
<i:坂口安吾の感情描写>
<i:森山大道のスナップした風景>
も羨ましい。

その頃、私は、恰度砂丘の望楼に似ていた。四方に展かれた望楼の窓から、風景が——色彩が、匂が、音が、流れてきた。私は疲れていた。私の中に私がなかった。私はものを考えなかった。風景が窓を流れすぎるとき、それらの風景が私自身であった。望楼の窓から、私は私を運んだ。私の中に季節が育った。私は一切を風景に換算していた。そして、私が私自身を考えた時、私も亦、窓を流れた一つの風景にすぎなかった。古く遠い匂がした。しきりに母を呼ぶ声がした。
坂口安吾『ふるさとに寄する賛歌』

疲れると感性が死んでくる。
<q:どうにか気楽に生きられないものだろうか>

いやそれとも、
<q:生きなければならないのだろうか>

<a:——————————>

</body>
</etml>

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