見出し画像

#FFX歌舞伎 がすごかった話 〜まだ間に合うから見てくれ〜

おはよう。ぷにあなごだ。
時間もないので最初から本題に入らせていただく。
どう時間がないかというと、FF10歌舞伎の4/12(水)で上映が終わる。

・4/10追記
あろうことか公式ハッシュタグを付けていなかったので、ハッシュタグを付け直し序文を微調整した。
まだ間に合う。まだ間に合う。

プレステ2で300万本売れたロールプレイングゲームが原作の新作伝統芸能舞台が、絶賛上演中だ。

FF10を多感な時期にやってそのまま大きくなったオタクであるおれの心境は複雑だった。
「過去に売れた作品を、奇をてらった方法でリバイバルする何かでは」と訝しみつつ、未知の世界に飛び込む決心をして公演を見に行った。

圧倒された。

1回見た帰りに次の週のS席のチケットを取った。

1日約7時間にもわたる通し公演を、2週連続で見た。

会場の前に立てられた「ティーダ」「ワッカ」ののぼりを、ヘラヘラしながら写真を撮ってた時から15分後、開演の時点でおれはもう衝撃を受けていた。

そして、唯一無二なこの舞台の感動を人に伝えたいし、
これをきっかけに「見たい!」となる人を増やしたくなり、noteにまとめることにした。

「四の五の言わないでいい。もう見に行く。」
という結論が出ているのであれば、この記事のことは一旦いいから、以下のリンクからチケットを取りに行こう。

1日通し券でA~S席なら大体ニンテンドースイッチが買えるくらいの値段だ。それが安いか、高いかみたいな話は特にしない。
払うやつは払うし、おれは2回払った。

どうすごいのか

完成度が高い

一言で言ってしまうと、めちゃくちゃ完成度が高い。
FF10のメディアミックスとしての完成度がとにかく高い。

「グラフィックを売りにしていたゲームを舞台にする」という課題に対し、
・演技のうまい役者
・超高性能な舞台装置
・意外な歌舞伎というフォーマット
を組み合わせることで、舞台としての一つの解を導き出している。

歌舞伎役者、演技がうまい

歌舞伎ファンからしたら当たり前のことかもしれず恐縮だが、まず、歌舞伎役者の演技がうまい。

中村獅童がすごいのは「ピンポン」で知っていたが(何年前の映画だ)、中村獅童ももちろん(?)出る

FF10は元のゲームの時点ですでに「声」と「リアルな頭身のCGキャラの演技」がある。

そういったものに対し伝統芸能の人たちがどれくらい原典の演技に寄せてくれるのかな、と不安な気持ちでいたが、

これがもう、ちょっとびっくりするくらい寄せてくれている。

原典のニュアンスを咀嚼してその場で演じてくれるので、そこにいる!という感動がある。

舞台も装置が大掛かりでサイズもデカいが、等身大で演技してるはずの演者の皆さんも、
ちょっとデカく感じるくらいの存在感がある。声が張れるのと、感情を声に乗せるのがうまいからだろう。

ユウナ、リュック、ルールーのメイン女性キャラ3人を男性(!!)が演じるのも、出てきたときは心の中の女児的な部分が「おとこのひとだ……?」と言っていたが、何せパワーがあるので、徐々に気にならなくなってくる。

リュックは正直初見は結構面白くなってしまったが、終わるころには「こっちが正解だったのでは」「元がちょっと思い出せない」くらいのことは口走っていた。

ユウナが終盤に旅の仲間あてのビデオレターを撮っているところや、リュックがユウナが背負っている過酷な運命を涙ながらに語るところはおれは2回見て2回泣いた。たぶん原作では泣かなかったと思う。

最終決戦近くの主人公ティーダとその父ジェクトの戦いも、歌舞伎オリジナル(歌舞オリ!!!)の激エモの脚色が刺さって、これも2回とも泣いた。

舞台装置がデカく、高性能

「演技がすごくてもさ、飛空艇が空飛ぶし、ラスボスのシンだって何百メートルもする怪物だし、あのスケール感って舞台で出せるの?」
という疑問はあるかもしれない。

FF10歌舞伎からの回答は
「とにかくバカでかいスクリーンにすべてを映す」
「スクリーンを超える長尺スクロールは舞台ごと動かす」
だ。

豪快すぎる。豪快すぎるが、それを実現する設備が都内にあったんだから仕方がない。

「IHIステージアラウンド東京」は以下の図のように、客席の周りをグルッと舞台と巨大スクリーンが囲んでいて、客席のほうが回転するというとんでもない劇場だ。世界で数台しかないらしい。

灰色のところが全部舞台

舞台の回転により場面が舞台美術ごと転換する。暗転が少ないシームレス感が物語への没入の助けになっているのと、舞台の上を役者さんは理論上ずっと走れるので舞台の広さの感覚もバグる。戦闘シーンでたぶん半周くらい使っているところがあったと思う。

視界を覆う巨大スクリーンが時には巨大な怪物「シン」が村を重力波でひねりつぶすシーンを映し、時には飛空艇が飛び立って風景がどんどん後ろに流れていくスピード感を演出する。

ここら辺の体験なんかは明らかに原典のゲームをはるかに超越する迫力だった。ハードウェアが違いすぎる。

迫力があるシーン以外も、オープニングタイトルの映像が流れて「ザナルカンドにて」が流れた段階で1回泣き、なんなら旅の出発点の村のビサイド島のテーマが流れて、遠景で街並みが見えた段階でもう1回泣いてしまった。

ただこのステージアラウンド東京、どうも営業が終わるんだかなんだかという感じで、少し前までFF10歌舞伎が劇場最後の公演とまで言われていた。

FF10歌舞伎の再演の予定は未定だが、同じ舞台で上映しない可能性が高い。

なんにせよこの舞台が使える、この演出で見られるのは4月12日までだ。

あと1週間しかねえじゃん!っていうのはまあ、そう。記事をまとめるのに時間がかかってしまった。本当はもっとサクっと書くつもりだった。

歌舞伎というフォーマットについて

続ける。これで最後。

そもそもFF10と歌舞伎が合うかという話だが、これが、もう一回見たら「歌舞伎、ありがとう!!」という感じになってしまった。

ネタバレになるので別記事にするが、ゲームでいうラスボス戦に歌舞伎ならではの大仕掛けが入る。おれは訳が分からなくなり、ブチ上がったのち、泣いてしまった。

また、歌舞伎というフォーマット自体にも実写化に良くある「コスプレ感」みたいなのをうまく中和する作用を感じた。ここは個人差があるかもしれない。

無口なキマリが初登場時に「ユウナを守ると決め幾星霜~」みたいな自己紹介の口上をスラスラしゃべる。

ここはゲームでいう平文のテキストまで役者さんが喋ってくれているのであり、別にキマリ自身が実際にこのスピードで実際自己紹介しているわけではない、という解釈ができる。

そしてこの言い立てが気持ちがいい。堂々としていて立派だ。歌舞伎にはしばしば、独特の時間感覚と歌舞伎ならではの見どころが作られている。

一度歌舞伎というフォーマットを経由することで、こちらが咀嚼しやすくなっている可能性を感じた。他の原作の新作歌舞伎もちょっと見たくなった。

ほかにも和楽器でアレンジされた原作の曲が素晴らしいとか、ここぞというところで生演奏がはさまるところとか、衣装アレンジのうまさとか、いろいろ話したいことがあるが、このくらいにしておく。

とにかくおれが言いたいのは、
生で体験すること、肌で感じることに意味があるタイプのコンテンツなので、すこしでも見たいと思ったらもうチケットを取った方がいい。
ということだ。

Q&Aたち

見るかどうかの悩みを更に打ち砕くため、いくつかQAを載せておく。

Q.どれくらい歌舞伎なの?予備知識いる?

A.ストーリー展開によって「歌舞伎濃度」がコントロールされている。
普段の演技はビックリするくらいFF10そのままだが、チャンバラしたりするときはすごく歌舞伎だ。

とはいえ、見るにあたって予備知識は特に必要ないと思う。おれも歌舞伎は初めてだったが、前説で初めて歌舞伎を見る人向けの軽いレクチャーが入る。手厚い。

Q.FF10実は遊んでないんだよね

A.遊んでおいたほうがいいのはもちろんだけど、前の質問と同じく前説で「FF10遊んだことない人〜」で意外なほど周囲の人が挙手していたので、深く考えなくてもいいと思う。

結構設定が複雑なんだけど歌舞伎ではかなり端的にまとまっている。人間ドラマをグルーヴで感じよう。個人的にはシーモアのヴィランとしての掘り下げが丁寧で好感が持てた。

Q.ユウナ役男の人ってマジ?

A.マジだよ。さっきも書いたけど、最終的には泣かされたよ。

Q.チケットいくら?

A.舞台装置の都合、なるべく中央ブロックのいい席で見て欲しいが、大体3万円くらいする。しつこいようだが体験することが大事なコンテンツなので、見たいなら払うしかない。

まあ個人的には10年前とかじゃなくて収入が多少なりとある今で本当に助かった、とは思っている……

Q.東京しかやってないの?

A.残念ながらそうだ。舞台が他にないから、少なくとも今の演出を見るには東京に来るしかない。

以上だ

長々と説明してしまい申し訳ない。

とにかく、少しでも気になったなら今からでも予定と財布を調整してチケットを取って欲しい。

「最後かもしれないだろ?」

ということだ。

追伸
おやつ氏の「ひたすら楽してFF10」が
予習のダイジェストとしていい感じだから、チケット取ったらPart1から見るといいかもしれない。

活動費(美味しいものを食べるお金)になります!