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3.奴隷体質から脱け出す

私は気づいてしまった。
世の中には2通りの人間がいる。

使う人間と使われる人間だ。

仕事では雇用主と非雇用者で納得できる。
しかし、そこに雇用関係が無くとも、そういった人間関係が存在する。その場合、利害関係が非常に不公平なのだ。

日本人、特に専業主婦はその傾向が強い。長女もそうだ。母性または姉御気質で、人のために動くのが当然になっているからだ。
その習性が抜けないまま何十年も暮らしていると、自分のために何かをする事の優先順位が低くなっている事に気がつかない。

他人のために動くことが喜びとなっているわけではない。当たり前の日常となっているだけなのだ。可も不可もない。特に苦ではないだけ。

使う側の人間はそういった人を嗅ぎ分ける能力があり、なんでも気軽に頼んでくるのだが、ここでは双方それぞれが無意識に行なってしまっているということを強調したい。

私は残念ながら使われる方であることに気づいてしまった。いわゆる奴隷体質だ。
大人数の兄弟姉妹の中で長女であり、自分が動く事に何の違和感も持っていなかった。そして大概のことは器用に出来てしまうため、頼まれたらなんでもやってきてしまった。周りの人にとっては重宝されていると感じ、それで満足していた。

だが、振り返るとどうだろう?
わたしは何者にもなっていない。
使う人たちにとって、便利なだけで重要な人材でもない。居なくなってもまた別の奴隷体質の人間が現れるだけ。そんなポジションである事に気づいてしまった。
雇用関係があるわけではないので賃金が発生しているわけでもない。ただ、ただ、自分の時間と労力を浪費していっていただけなのだ。

まずは
自分のために時間と労力を使う事について考えたい。
だが長年の奴隷体質でなかなか行動に移せずにいる。

ナニカラシテイイカワラナイ。

奴隷体質から脱け出すにはまだまだ時間がかかりそうだ。

案外、依存しているのは使われる側の人間の方なのかもしれない。

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