何も生まれない街
「六本木なんて何も生まれない街だから」
元々の顔つきがそう見せるだけというのもあるが、ニコニコと楽しそうに話す男はそう言った。
「ホントね。本当に、マジで、何も生まれない」
前職の男たちは六本木が大好きだった。ただ金を落とすためだけに行く街のように見えた。
六本木での飲み会に一度だけ参加したらさんざ腰に手を回され不味い酒を飲まされ飲め歌えという指示に従って、後日お前は営業だからと他の女性とは傾斜をつけられ若手の男たちと同じ1万円をきっちり取られて気が遠くなった。
馬鹿で未熟な私は自分の男と女のいいとこ取りをされた。そんな強者と弱者の搾取が良く似合う街だった。三ヶ月後に私はその会社を去った。
六本木を何も生まれないと言い切る男を好きになった半年後、男との関係の拉致の開かなさに気が狂った私が向かった街は皮肉にも六本木だった。
御成門のベンチで赤く光る東京タワーを見ながら缶のハイボールで乾杯して男を見送った私は、春の陽気とじんわりとした湿度の高い夜に狂った。
一人でクラブに行って聞きたくもないダサい音楽で馬鹿みたいに踊り、初めて会う全く記憶に残らないような男たちと浴びるほどに酒を飲み、記憶に残らない男と記憶に残らない女として最低な夜を過ごした。そうかこの街は、最低な私を受け入れてくれる街でもあるのか。
それから私は以前にも増してこの街を避けるようになった。
次の六本木の記憶は冬だ。東京で大雪が降って全ての交通機関が麻痺していた今年一月のあの夜、私は変わらず好きな男とリッツカールトンのバーで飲んでいた。高層階の窓から右往左往する下界を見ようかと思ったのに、真っ白で何も見えなかった。少し飲んで外に出ると外人たちが道を挟んで雪合戦をしていた。
私があげたお揃いの手袋をつけて二人で歩く街を私は少し好きになっていた。このまま電車が止まって彼が家に帰れないようになればいいと思っていたし、それが叶うことはなかった。
お互いにとんでもなく無責任な関係ではあったが今冷静に幸せというレールを敷いてまっすぐ歩こうとしている私は恐らくもう、いつ電車が止まり動くかわからない雪の中ではしゃぐことはないと思うとあの時あの瞬間は確かに幸せだった。
季節が巡って真夏、死にたくなるような暑さが大雨によって鎮められていた夜「次に付き合った男と私は秒速で結婚する」と宣言した通り大好きだった男と別れて四ヶ月で私は別の男と同棲を始めて年明け早々には入籍している予定だ。
何だかんだ今の彼と初めて近所以外でデートした場所も六本木だったし、今日も私は六本木にいる。新居で使うシーツを無印で買って、電車を待っている。
大江戸線六本木駅のホームはホームドアからまっすぐそのままの幅で降車スペースが広がっている。その横に半分の幅で乗車スペースがある。まぁ、たくさんの人が降りるしね。でも今の時間なんて全然人いないじゃん。と、またiPhoneで適当なものを見ていたら次に顔を上げた時には私の前に沢山人が並んでいた。
電車がホームに滑り込んで、やっぱり待っている人の倍の人が下りてきた。隣のドアのほうが人が少なかったので移動して、空いている席を見つける、シーツが入った紙袋を抱えて座る。
高層ビルは遠くから眺めたほうが美しいように、激しい記憶は過ぎた場所から見返した方が美しい。
もうすぐ男が待つ家に着く。
何も生まれない街は一生忘れない街だ。人が行き交い、記憶が交差する。
おわり
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