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エモい男は死んだ

私は2年くらい前までエモい男が大好きだった。

エモいというと陳腐だが、時を遡れば芥川龍之介や太宰治のような憂いを帯びた叙情的な男はいつの時代にもいて、そして一定数の女からは根強い人気がある。
その一定数の女たちの中に、私もいた。いつも何か悩んでいて生きづらそうな男の姿を見ると放っておけなくなるのは私の人間性の底にわずかに残った母性本能がなせる業なのか、多くを語らず頼りなくて幾つになっても子供のようだった父親の影響なのか。

「エモい」という言葉はおそらく2016年くらいが一番流行っていたと認識している。私もTwitterでこんなシリーズを書いていた。

【東京エモシリーズ】

このシリーズはほぼ、ばっちり実体験に基づいている。
東京における男と思い出の地を結び付けてツイートしていた。

別れなよと、なにもラーメン屋で口説くことないじゃないとすら言えなかった東池袋。

「東京に来て10年以上経つけどこんなに早く桜が咲いて散るのだけは慣れない」という秋田の男と飲むだけ飲んでただ一緒に眠ったのは中野。

この中には結婚するしないという話になるまで真剣に付き合っていたひともいれば完全にかりそめの関係だった男もいる。ここに出てくる男はみんな言ってみればエモい男だった。

ところが去年ここ数年で一番好きになった男性が、そういった物憂げな雰囲気は皆無の男だった。常にポジティブでいようと努めているし、その反面ごくたまに私に不満があった時には私にまっすぐぶつけてきたのでよく喧嘩にもなった。でもそれは、今考えてもとても建設的なやりとりだった。

何かに思い悩む”エモい”男たちは大抵頬杖をつきながら思い悩むだけで何も言わない。何を考えているかよくわからない相手にこちらが疲弊してしびれを切らして別れを突き付ければ物憂げに「わかった……」なんて言って、もしくは急にとんでもなく距離を取って自然消滅を試みてきたりして関係が終わる。
恋人同士とはいえ他人だ。言わなきゃ何もわからない。
こちらからすれば最後までお互いが交わることはなかったなとしか思えず、終わってしまった交わることのなかった関係を思い返すと私の中に何も残っていないことに気付くのだ。
そして男は関係が終わったら周りには「彼女には幸せになってほしい」「俺は好きだったんだけど上手くいかなかった」なんて言う。
ぶつかって自分が傷つくことを恐れて上手くいかせる努力をしなかっただけではないか。終わった女の幸せを願うより、今隣にいる女を幸せにすることだけを考えてくれよ。

過去に思いを馳せる男たちはそれはそれはとてもセクシーで、どういうわけかセックスも上手かったりする。でも”エモい”男たちは大体クズだ。
太宰治だって心中しようとして何度も女だけ死ぬし、芥川だって… まぁいいや死んでしまった文豪たちの話は。

私も30歳を割と前に越え、まどろっこしいコミュニケーションにセクシーさを見出すことに疲れてしまったんだと思う。

エモい男は死んだ。

いや、誰も死んでないし「西の魔女が死んだ」みたいなタイトルで書きたかっただけだ。読んだことないけど。男の好みが変わった話をそれらしく書いてみた。

エモい男、あなたにとってはどんな存在だろうか。

では、今日はこの辺で。

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