note、始めました。

「先輩、なんかつまんなくなりましたね」

高校の後輩にそう言われたのは二年ほど前に母校の文化祭に行った時のことだった。
大学に通い始めて性格が変わった、なんてのは割とよく聞く話だし僕とその後輩が特別仲が良かったわけでもないのだが、「面白さ・ユーモア」を人間の価値の大きな基準とする僕にとってこの言葉はなかなかショックだった。

高校までの僕ははっきり言ってどうしようもない人間だった。宿題なんて当然のようにやらない、授業は眠るか友達と喋るか、教師の説教は右から左に受け流し、休み時間はとにかく騒ぎまくり、毎日悪戯三昧。教師の方々からすればこれほど迷惑な生徒もいなかっただろう。
そしてその迷惑行為は教師だけに留まらない。例えば期末試験前、サイゼリヤで試験勉強を友人たちでしているという状況。僕以外の友人が黙々と勉強する中、僕は一人大声で喋りながらミラノ風ドリアを貪り食っていた。
正直、真面目に勉強していた友人諸君は僕のことを殴り飛ばしたかったと思う。というか実際に何度か本気で注意されたことがある。普段は優しく気さくな友人たちからのリアルな叱責は教師からのものより遥かに心を抉った。僕のメンタルの脆さはシャボン玉以下なのだ。

僕は昔からとにかく落ち着きがなく一か所にじっとしているのが苦痛でしょうがなかった。何よりもつまらないことが大嫌いだった。退屈なことなんてやるもんか、という心理が上記のような悪行として発露したのだろう。同時に自身の興味には何より正直で毎日何か面白いことや楽しいことを探していた。毎日違う道を通って下校してみたり学校の竹林でタケノコを掘ったりスズメバチの巣を棒でつついてみたり…。そうしたくだらないあれこれが僕にとって代えがたいモノであり僕の大部分を形成するものなのだ。

しかし大学に入り、いい加減気づく。
「面白いこと、楽しいことだけでは生きていけない」と。
これを成長というのかは知らないがこれによって僕は大学に入ったことによって以前ほど無茶な行動や言動をすることが少なくなった。高校までの僕しか知らないあの後輩からしたら大学以後の僕を退屈に思うのはある意味当然のことだろう。
だがさっきも言った通り僕は人間の価値基準の一つとして「面白さ・ユーモア」に重きを置いている。自分で自分のことを「つまらない奴だ」と思うならまだしも自分以外の人間から「つまらない」とはっきり言われるのは悔しくてしょうがない。昔のような傍若無人な人間に戻る気もないが僕にとって「つまらない奴」のままでいるのは何よりも耐え難いのだ。もっとも、その意識が強まったのはここ数か月の話なのだが。

「面白さ」を追求する日々の中、友人が始めたというnoteなるものの存在を知った。で、なかなか面白そうなので僕も便乗して始めることにした。
前置きが長くなってしまったがこれが僕がnoteを始めたきっかけである。
「毎日何か書く」とか意識の高いことをするつもりはない。「書きたいときに書きたいことを書く」というスタンスで行こうと思う。文を書くというのは退屈もしないしユーモアを鍛えるのにもちょうどいい。

noteを書き続けることによってあの後輩に「面白い」と言ってもらえたころのような僕になれれば何よりだと思う。

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