ん、あの開会式?史上最高でしたよ?(◉◞౪◟◉)


 なんか東京で運動会が開幕したらしいけど、僕、そんなにスポーツ風ドラマ風スポーツには興味はありません。とまず書きました。なんか陽キャを見てて不快に感じることもなきにしもあらずな僕です。けれども、なんかその大会自体が大勢の人を集めてるらしくて、「コロナ禍で何面白そうなことやってんじゃ、お前ら〜。」的な僕は、群れる羊を狩る狼的な本性をメディアから燻られ、僕とかいうクソどうでもいい身分で、全くの無関係なくせにその大会の開会式をNHKで観ようとしたもんだから、せっかくなんでレビューします。おせっかい欲にどうしても僕は抗えないのでした。

金曜日の夜8時に、テレビは、TSUTAYAでレンタルしてたピアノレッスンを見て使えばいいじゃんと気まぐれを発動させていたので、存在を思い出した夜11時からしか開会式は見ていないのですが、一言で敵を作る感想を今から言うとすれば、まぁ、

ん、わけわからん。しかもおもん無い。センスない。はぁ。

どっかの5chスレ↓

 どっかの誰かが導いた、この100点中8.5点は死ぬほど的確な数字であると思います。10点はないんです。もっと日本はやれると思ってたのに…というため息。まぁ北京とかロンドンとか、リオと比べるの申し訳ないが... そして絶賛する少数派を尊重する末にたどり着いた採点方法である、ドント方式棚ぼた。それにより日本が8.5点得られたわけです。多分この採点者は、東京オリンピック開会式と後藤輝樹の政権放送がオーバーラップしたでしょう。

というわけで、この5chをみてわかる通り、僕のあの国民の3割が落胆したあの開会式への感想は、それらの国民と一致してたわけです。

よーするに開会式は8.5点なのです。概略は多分その辺にいるちゃんと文章ができてツイッターをやってる評論家がちゃんと中身のある酷評してくれているので、それを見て下さい。{駄作界の市民ケーンと呼ばれる映画、「The Room」}とウィキペディアに書いてある記述を読んだ僕は、今回の開会式の演出は、その映画の演出、タキシードをきてアメフトをやる連中とに通っていると感じます。ただし、ガスマスクをつけてダンスパーティーをするホーリーマウンテンの演出ほどは突っ切ったシュルレではなかったと思うので、カルト映画のファンもジャズ歌舞伎には不満をもったでしょう。カルト映画ほどキモくない開会式でした。以上がこの文章の"はじめ"です。以降は"なか"

しかし、そんな開会式、いいところもあるんじゃないか?悪いやつを褒めることで、僕の誉め褒めスキルが上がるんじゃないかと、逆張りしてタイトルの通り今から開会式を褒めます。

 このブログの文章のようにテンポの悪い開会式でしたが、そもそもコーネリアスへの集団リンチとかラーメンズの片桐じゃない方の首とか、のぶみの炎上とか、その前一週間は異常な盛り上がりを見せていたので、そもそも開会式をしなくてもよかったんじゃないか。と今となっては遅いですが、そういう意見もごもっともだと思いますが、違います。
 オリンピック。経済がなんだとか、コロナがなんだとか、電通がなんだとか、組織委員会がなんだとか、バッハがなんだとか、菅がなんだとか、開催だ中止だとか、全部あの時バカらしかったな。ってなるって!! バカなことができる今の日本社会、ひいてはこの無能(とインテリの間で話題の)政府、あれ、こいつら、"逆に"最高なのでは?! (コペルニクス的転回) ←ここ重要

 悪いのがいいなんてことあるわけないって?   中卒はどうあがいても転落人生だって?
今回の開会式はどう見てもゴミバカだって?

い や い や  ☆ミ 


 バカなことが出来るニッポン、FOOL JAPANを世界に発信した開会式、成功失敗気にしないテキトーにやるコンセプトを見事に体現してみせたじゃないですか。ここにあるのは、侘び寂び。そしてその中核を成すのは、先進国ならではのゆとりなのだと。国はこんなにショボいんだから、国民は気が楽ちんという訳だ。国の威信がどうとか、海外のパブリックイメージがどうとかではない。日本は個人主体の社会であるが故、この開会式で世界へ発信した演出の有様である。そもそもオリンピックとは外交手段という名目で、運営が海外の人に、「お前んとこすげえな。リーダーがしっかりしてるからだよな。」と、お世辞を言ってもらうために存在しているので、実は政治家の私利私欲の塊なのである。しかし、今回、あの開会式酷さでは、日本の政治家のメンツは丸潰れである。まさか、あの菅とか小池やらは、そんな目論見など最初から持っていなかったのか?エゴを封印したおかしき政治家なのだろうか。そうなのであろう。僕は気づきました。これこそ、先進国のゆとりなのだ。と。
北京五輪を今度やる中国は、日々急いでる国だからこうはいかない。当然のように日本よりはるかにいい演出で、世界は当然のように圧倒されるだろうけど、それでは実は日本の足下にも及ばないのです。いや、習近平とか共産党のエゴが必ずしも悪と言っているのではなくて、ただ、それは貧しいかな。というだけです。ところでレディオヘッドのOptimisticという曲があります。その一節に、If you try the best you can,
The best you can is good enough .
とある。その意はいろいろと解釈できます。" 頑張ったね。おまえは力不足なんだからもういらないけど頑張ったね。"と僕は読み取りました。この、歌詞にも開会式にも、個人への肯定が底にあるとしたら、それは感じ取らなければならないのかなというわけです。

以降"おわり"
以上、愛おしい国民へ。おわり。


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