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寝る前のメモ。


あっという間の一週間。東京滞在はとても密度の濃い時間で、見かけたシーンごとに思うことがあり、4泊というひさしぶりの長さで考えることもたくさんありました。

お世話になっていた方に「日記書いていますか?」と聞かれて、咄嗟に「いいえ」と答えたものの、日記として書いている認識はしていなかったけれど、考えてみればこれも日記?週記?のようなものなのかとふと思いました。

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楽しかった瞬間やインスピレーションを得た体験は多々あるのだけれど、それ以上にブローカーのような日本人男性と若いアジア人女性の集団を見かけて悶々としていたのがなんやかんやで今回のハイライトになってしまった気がするな。勝手な想像で話を膨らませてはいけないけれど、頼むから逃げてほしいと願ってしまった自分も同時にいるわけです。

そこに対等な関係があるのであれば、第三者が仲介する必要はないのだけれど、どうしてもそこにある種の歪さを見つけてしまい。うまく言語化できないけれど、その後に山手線で見かけた日本人男性とアジア人女性の光景も、自分にとっては結構しんどくて。勝手に怒りを向けるのは見当違いだけれど、その女性が自身の選択のうえでこころから幸せであれば・・・と願ってしまうのは、職業病のようなことなのかもしれません。驕りとも言えるかも。

スクロールごとに現れる中東やウクライナの和平問題も相まって、このような社会で自らの足元から伝えていけることを改めて考えるわけです。小学生の頃に関心を向けてしまった以上、複雑な世の中を見ないふりもできないし、ありとあらゆる問題をなかったことにもしたくない。けれど、医療のように目の前の人たちを助けることができない自分には、ゆっくりでも足元から着実に歩みを進めていくしかなくて。もどかしいけれど、答えを急いだとしても解決にはつながらない。

いまはとにかく少しずつできることを増やして、長い目で取り組んでいくしかないのだろうな。この10年もできるだけ多くの「手段」を見つけていきたいと思っている。

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雨の音に隠れてひさしぶりにピアノを弾いてみた。絶対音感なんてものは備わっておらず、楽譜もすぐには読めなくなってしまったけれど、指先に叩き込んだ感覚はいまも少しばかり覚えているようだった。同級生との6手連弾も楽しかったな。

これまでの人生で10年以上続いたことは、ピアノとバスケ。Netflixで配信がはじまった「THE FIRST SLAM DUNK」を映画館ぶりに見ていると、素晴らしい描写のなかから「今なら抜ける!パスが出せる!」と思う瞬間がいくつかあって、こちらも身体で覚えていることが多々ありそうだった。(現実はそう甘くない)

かつての夢中になったエネルギーが仕事に向けられている今、手放したからこそ楽しくやれることもあるんだろうな。覚えている4曲を納得できるまで弾いてみたり、マラソンが走れるくらいの体力に戻してみたり、なんかそういうことをやってみたいなと思う6月前半でした。

もう2週間経っていることへの驚きが隠せません。

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