田植えの季節になりました。
日常の中の非日常というか、小さなシアワセのようなものというか。
四季がある場所は「時間」の流れをしっかり感じられる気がして。
小さな変化で楽しめるというか、なんというか。
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こんな日に思い出すのは、なぜかドイツのようで。
自分のスウェットを履いて歩いてくる人と対面した街。
2ユーロあげるから、5ユーロちょうだいと言われた街。
バスの後部座席でなぜか2人の酔っ払いとわいわいした話。
ポンドしかない私を、バスに乗せてくれた街。
ゲストハウスの相部屋でカップルがいちゃいちゃしてたので、フロントでしばらくぼーっとしてた街。
朝から見知らぬ酔っ払いの兄ちゃんにガイドをしてもらった街。
川でサーフィンしてる人がいる街。
カナダ人のおばちゃんに助けてもらった街。
同年代の日本人の女の子と出会った街。
バックパックを買った街。
日本から来た友達とたまたま一瞬だけ会えた街。
ホワイトソーセージとビールを嗜んだ街。
ただの通過点がこんなに濃いとは思いもしなかった。
1年半以上前なのに割と鮮明に覚えているもんで。おとといの晩ご飯はすぐにでてこないのにね。
こういうのって、誰とも共有できないんよね。しなくていいこともあるんやけど、したいことも少しはあるよね。全部知っているのは自分だけやし、ガイドブックには載っていない。
当たり前なんやけど。
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「ログ」のとり方は1つじゃなくて。
文章かもしれないし、写真かもしれないし、絵かもしれない。
ログをとっていく上での「温度感」を大切にしたいなって思います。
決して目には見えないけど、大事な気がして。
上手い下手はまずはどうでもよくて。もちろん上手くなりたいんやけど、なんていうか。なんか最近うまく言語化できないなぁ。「続ける」ことで勝手に上達できることもあるんですよね、なんていうか百戦錬磨というか。
「独りよがり」にならなければ大丈夫だと思、、う。
そういう部分では、ニーズと先行事例に一番近いところにいるのであんまり心配ないかな。
さすがに若冲のように「1000年先」の方々に理解してもらえるとまでは思わないけど、1000年先に同じような温度で伝わるとおもしろいような、そうでもないような。でもやっぱり、そうだったらいいな。
1000年後の古文の教科書とか気になるなあ。いや、そもそも教科書や学校ってあるのかな?
昨年、大学の講義でコンパクトシティ構想を国交省の方に伺っていて、1年後に実践現場にいる。語弊があるかもしれないけれどこれって不思議で、それからおもしろい。一番近くの第3者というか。
グランドデザインの部分ですよね。英語で書いたら世界的な先行事例になるかなあ?ということも視野に入れておこう。ま、とっくに誰かがしているかもしれませんが。
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そんなこんなで今後もいろんな方法を探っていこうと思います。
まずは「いいもの」をいっぱい見て、触れよう。
エッセンスはそこらじゅうに転がっているので。
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