「人生ノリとタイミング」|なみかわのなかみは vol.1
−−「人生ノリとタイミング」
高校生や大学生の頃、イケイケ系の方々のSNSのプロフィールで見かけた言葉。
確かにそうかもな、と今になって思う。
なんでもノリでやってしまうフットワークが軽い自分と、タイミングを計る重い自分が両方いて、最近はすこし重い側に傾いていたことに気がついた。
少しだけ、心が寄りかかるところがほしかったのかもしれない。ほんの少しだけ。
自分の「できない」理由を探して、「足りない」要素を何かで埋めようとして、それを得るまでは「やれない」という思考のスパイラル。
先輩方に言わせてみれば、ミジンコのような悩みである。いや、ミジンコを比較対象にするのが申し訳ないくらいで。つべこべ言わずに、まずは小さくても始めた方がいいもんね。
クオリティを高めるために量をこなしながら、仲間を増やし、よりいいものに触れていく。ものづくりもスポーツも、プロセスは案外一緒だったりする。
その積み重ねがこれからスキルやセンスとなって現れるかどうかは、やっぱり自分次第なので。わたしはきっと学ばせてくれる「人」や「場所」に出会いたかっただけなんだろうな、と思う。打ち込む準備はできている。甘えてもいられない。
ありがたいことに実践の場があるからこそ、とにかく勉強したくて。
可動域を超えないと筋肉痛にもならないし、筋肉痛にならないと新しい筋肉もつかない。自分の枠を超えないと挑戦できないし、挑戦しないと新たなことは発見も得ることもできない。
脳みそ筋肉でできているのでこういう理論展開になってしまいがちですが、自分が今どういうところに筋肉をつけたいのかが不明瞭だったんだな、と今になって思います。それに、そこに行くためにはどんな筋肉が必要なのかも実はあんまりわかっていない。
あれ、何の話だったっけ。
1週間が経って、その土俵に立つための「何が」足りていなかったのか少しずつわかってきたし、何よりも圧倒的に実力不足を感じたのよね。
新しく学びたい自分と、この場所で実践したい自分と。筋肉バカなので、これからしばらくは同時にやっていくんだと思う。結局のところ。ほんとバカ。
タイミングがきたらいつでも、という状態をつくることが先だったはずなのに、しばらく見えなくなっていたのもあるのかな。
こんな自分にも「仕事」を渡してくれる人がいるうちが本当に華だと思う。こんなありがたいことってない。とくにライティングに関しては、代わりなんて探せば本当はいくらでもいるはずなので。
今、目の前のことにしっかり応えることが先だったわ。身の丈以上のことに応えられなくなる日が来ることが怖かったけど、そういう時に相談できる友達や先輩がいれば大丈夫よね。それに、その時考えればいいことで。
可動域を超えて刀を振り回しすぎたせいで肩がまっすぐ上がりませんが、今はこっちを優先させようと思います。
不安なこと・足りてないと思うことをもう少し因数分解して、可視化していこう。3日間ほど、いろんな先輩方とお話しさせてもらって、少しずつクリアになってきたので。
もう少し先に、客観的に自分の現在地がわかるといいな。
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