あっ、
と、ふと気づいた事がありました。
わたし、実家は裕福じゃない農家なんですね。母の妹、わたしの叔母に当たる人はお嫁に行って、とてもお金持ちになりました。そしてわたしには同い年のいとこがいます、叔母の子ですね。
昔その子と一緒にいる時に、わたしだけカプリコを食べてたんです。そしたらいとこが「え!それどこで買ったの?!」みたいな反応をしてきてくれた事があって。その時わたし、なんか心の中でにんまりしたというか、勝った!って思ったというか、なんか嬉しかったような気持ちになったのを覚えてます。 洋風のおうちで、玄関からいい香りがして、キレイなトイレでお風呂で、わたしの家にはないものがたくさんあって、そんな家に生まれた子に羨ましがられた事が嬉しかったんです。
でもそれ裏返したら私が彼女をずっと羨んでたからですよね。
(今も叔母ともいとことも大変仲良くしてます。)
それで、そんな事もあったなぁって時々思い出してました。
そしてそして、やっと気付いた事。
裕福な親戚、裕福でない家に生まれた私。
かわいい友だち、お金持ちのおうちの子、身長が高くてモデルさんみたいな体型の友だち、、
思いついてたのに、今こうしてる間にすっかり抜けてしまった…こんな感じの、まだまだもっとありました。
何が言いたいかというと、
周りの全てを私が悲劇のヒロインであるために(言い方がアレですけど)使ってる
ということに気づいたんですね。証拠集めですね。
これまでいろいろ引き寄せのコンサル?とか行ってみたりしてこういう事言われた事はあったんですが、その時は『そうなんだ。ふーん、そういう事もあるんだ、ふーん。でもなんだろ、どういうことだろう?』と思ってました。その時は理解したようなつもりになってましたが、時間が経って
あぁ、これだ。この事だ。って、腑に落ちた感じがしました。
で、今から私がするのはアレかなコレかなと原因探しをするのではありません。
見てるようで見えてなかった、見れてなかった気づけなかった全部を悲劇のヒロインでいるためのパーツにして一生懸命にその証拠を集めてた私に
そうか、そう思ってたんだね、しんどかったね。今までそんなしんどい事を、よく頑張ってきたね、辛かったね。
って寄り添う事です。原因探しも反省も今すべき事じゃない。
愛の反対は無関心、ですよね。
自分の現実を作ってる自分の内側に関心を持って、寄り添っていきたいとおもいます。
もどかしい…!文章も言葉ももどかしい!うまく言語化できない!それは理解が足りないからだとどこかで見ました。
でも私はわたしみたいな生きづらさを感じて生きてる人の何かのヒントにでもなれたらと考えてます。だからぽつりぽつりと、もどかしいけど練習だし文章を書いてみてます。
また編集するつもりですが、本日はこのフレッシュな感じで投稿しておきます。
自分が変わらないと何にも変わらないんですよね。
じゃあ、自分がいかに恵まれてて思い通りの人間として幸せに生きているか。その証拠集めに尽力したいなと思いました。
うん。本日はこのあたりで、おやすみなさい🌙
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?