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個人と競技 第3のリベロ Vol.14

スノーボードの平野歩夢やスピードスケートの高木美帆、そしてフィギュアスケートの坂本花織。北京五輪では連日、さまざまな競技で日本人アスリートの活躍が伝えられてきたが、あいにく、いずれも観ていない。普段から馴染みのないものを五輪だからといって観るのは、私にとってドラマをクライマックスだけ視聴するようなものだ。「相関図」や「伏線」を知らない世界に感情移入するのは、どうにも難しい。

ザッピングすると常に複数の局が五輪を中継しているが、ときおり、関西の阪神戦のように地上波とBSで放送内容が重複していることがある。同じ電波を使うなら、わが国の代表ばかりではなく、もう少し他国にも焦点を当て、好試合や名場面を網羅的に放送すればよいものを。森達也氏が東京五輪を総括して「内向きになった」と評したわが国の風習が、こんなところにも反映されているのだろうか。

「女子アイスホッケー、注目は久保英恵選手と志賀紅音選手です」―VTRによってわかったのは、両者に19の歳の差があることくらいだった。小さなパックを追いながら、ヘルメットを装着した選手の顔を確かめるのは至難の業。日本のスポーツ中継の慣わしのひとつが、どんな競技でも特定個人に焦点を合わせることだろう。有力選手については素顔や家族のことまで伝えても、その競技自体にどんな見どころや歴史があるのかを紹介するVTRは、およそ目にした記憶がない。

個人的なスタンスはその逆で、最たる関心は個人ではなく競技そのものにある。いかにジネディーヌ・ジダンといえども、たとえエメリヤーエンコ・ヒョードルであっても、フットボールや格闘技以上に注目することはあり得なかった。ただ、唯一の例外は上村愛子が現役だった時代のフリースタイルスキー・モーグルだ。初出場にして7位入賞を果たした1998年の長野五輪、ゴーグルを外した瞬間の笑顔に心を奪われた。4度目の挑戦となった2010年バンクーバー五輪は、悲願のメダルにあと一歩の4位。「なんで、こんなに一段一段なんだろう」。気丈にいつもの笑顔を絶やさず流した涙に、胸を打たれた。中学2年で初めて見たときは容姿のファンでしか無かったが、やがて人として惹かれるようになった。

ついに五輪のメダルには縁が無いまま上村が引退して以来、モーグルを観ることは一度として無かった。必然、北京五輪の男子モーグルで銅メダルを獲得した堀島行真も、初めて目にする選手だった。何となく合わせたチャンネルで、急斜面とコブを克服しながら曲芸まで披露するスキーの超絶技巧を、長年ぶりに堪能した。エアとタイムが2割ずつ、ターンが6割を占める採点の構成などを思い出すうち、私のなかで初めて、モーグルは個人を離れ、競技として楽しめるものになった。



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