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「まとも」かどうか 運動神経が悪いということ Vol.30

昨日、関西でも大雨警報が発表された。正午ごろには自治体からの避難指示のメールで各自のスマホが鳴動したが、社会人の端くれとしては、警報に関わらず勤務が基本。いつも遠路を運んでくれる電車が運休しないか注意しつつ午後からの仕事を段取りしていた昼休み、数名の同僚たちが早退を申し出た。共通項は、まだ小さいお子さんを抱えていること。自分も、同じように子どもがいれば帰らせてもらえるのだろうか。つい、不謹慎な考えが頭をもたげた。

先日は、電話口の母の様子が瞬時に険しくなった。母子共通の生活習慣病、脂質異常の対策に飲んできた健康ドリンク。その注文数を変更しようとメーカーに電話したところ、名義人である私に代わるよう要求されたらしい。代わってみれば、引き落とし先の預金口座や電話番号など、たったいま母がすべて回答していた問いを一から繰り返される。いろいろな詐欺が横行する世の中とはいえ、健康ドリンクの顧客への対応としては、警戒が過ぎないか。つい苛立ち、「あの、全部さっき答えてますけど。わざわざ本人に問い直す必要あります?」とこぼしたところ、「ご夫婦でしたら、大丈夫なんですが」と返された。母の機嫌を損ねた理由が氷解し、夫と妻に比べ親と子の関係がいかに信用に足らないものなのか、世間の声を浴びせられた気がした。

それが全社的な方針なのか、対応したオペレーターの私的な見解なのかは知らない。いずれにせよ、「夫婦なら大丈夫」という根拠は、どこにあるのか。親や子だと不正をはたらくことがあっても、夫や妻であれば同様の可能性は無いというのか。恋愛至上主義は、わが国でしかと根を張る思想のひとつだが、その成果として夫婦になり子どもを持つことは、「まとも」かどうかで人びとを区別する大きな指標になるようだ。

「独りぼっちだとばかにされていると思った」―先月、長野県で起きた立てこもり事件。容疑者の供述には、独身男性として心中に燻らせてきた憤懣が滲んでいる。言うまでもなく、近隣に住む女性2人を刺殺し、駆け付けた警察官2人を射殺したことを正当化できる理由にはなり得ない。 ただ、命を奪われた女性2人がどうであったかはともかく、独身者を「まともではない」からといって蔑む風潮が、私たちの世間全般に蔓延していることは、当事者の一人として切に感じる。そんな世間への鬱屈した思いが凶行に駆り立てた一因だとすれば、この事件は私たちへの警鐘でもあると受け止められて良いはずだが、暴力がもたらすものは、独身者へのさらなる軽蔑や偏見だろう。

このほど、政府が発表した「異次元の少子化対策」。2024年度からの3年間で集中的に取り組むという「こども・子育て支援加速化プラン」は、児童手当の受給期間が高校卒業まで延長されるなど、子育て世帯にとっては実に魅力的な内容ではないかと拝察する。他方で、どうにも前向きな印象を抱くのが難しい。「まとも」な人びとのご機嫌をとってばかりの政府。この政策から連想するのも、子どもたちへの優しさではなく、大人たちをその恩恵に与るものと与れないものとに区別する冷たさのほうだ。

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