今に至る過程の話
仕事に集中したいから
と、配偶者が月に1〜2度しか帰宅しなくなったのが2015年頃。
そうそう、子の5歳の誕生日から居なかったわ。
私も、配偶者と職種は違えど同じ撮影関係の仕事をしていたので、作品中に集中や自分なりの作業手順を外部要因で途切れさせたり乱されたりするのはとてもめんどくさい。とてもよくわかる。と思い、あまり追求はせずにいた。
喋れない自分のことができない、要全介助の障害児と2人、先が見えなくて辛くて仕方なかったけど。
たまに帰宅した時にそれを伝えるも
「で、俺が障害について悩んで何か変わるの?悩んでも何にもならないよね?無駄じゃない?」
そう返され続けてきた。
無駄。そらそうだ。悩んで苦しんで泣いて障害が治るなら、世の中の障害児の親の涙と苦しみで障害なんか無くなってるわ。
悩んでも泣いても何にも変わらないから無駄。
で、気持ちに寄り添う気がない配偶者に悩みをぶつけるのをやめて、自分の考え方を矯正修正することにした。
人間等しく1日24時間しかないし、元気に生きても自分の意思でどうこうできるのは70年あればラッキー(幼少期は養育環境によるものが大きくて自分の決定権はあまりないからね)。私はもう半分くらいその時間を遣ってる。その時間、泣いて悩んでばかりに費やすのはもったいないじゃないか。
と。
生来ネガティヴ思考であまり理想が高いわけでもないし、家庭に憧れがあったわけでもないから「幸せな家族」を思い描いて苦しむこともなく(むしろ結婚して子供産む選択をしたことが気の迷いとしか思えない。)なんとかかんとか、そういう考え方をする様にこぎつけた。
そうしたら2016年頃、相変わらずたまにしか帰宅せず、育児のことも「言ってくれればやるよ?」としかのたまわず自主的に行動しない配偶者が言ってきた。
「家庭に居場所がない、辛い」
うん?
うん。
でしょうね....としか感想がない言葉だった。
配偶者が自分の生活を一切変えることをせず仕事し続けている間、私は子の療育と通院、保育園、当時はパートもして、不在の配偶者に頼らずに毎日をまわしていた、回さざるを得ない生活をしていたわけで。
生活費諸々は配偶者の稼ぎだったのでその点は感謝しているけど、彼が生活を変えずに仕事できているのは家庭というリソースを割かずにいたお陰でもあるので、こいつはなにを言っているんだろう、としか思えなかった。
ピン芸人が頑張ってやってるコンビに加入してきて「俺メインのネタを書け」っていきなり言ってくるようなものじゃない?違う?違うか。
もはや彼には
「お前は人生好き勝手できていいなぁ!羨ましいとしか言えんわ」
という思いしかないのであった。
妻子の生活という枷は重いかもしれないけど、それを言ったら、子が健常だったらさっさと好きな仕事に戻れたかもしれない未来をぶった斬られて、選択の余地なく子の介護を1人でやっている私の人生にはめられた枷はどうよ?
でも当時の私はまだ優しかった。
「離婚したいって感じ?」
解放してもいいと思ってた。
「そういうわけじゃない」
そう返ってきた。
まぁその2年後の2017年あたりに
「このまま(ほぼ帰宅しない別居状態)じゃいけないと思って」
という前置きで、一瞬、やり直せるようがんばります宣言かな?と思わせつつ
「離婚したい」
って言われるんですけど。
まぁその2年の間に離婚した諸先輩がたから「養育費トンズラする男が大半だから命に危険がないなら離婚しないほうがいい」というアドバイスをもらっていたから
「は?何言ってんの?」
って返すんですけどね。
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