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価値

やっほ。anoです。

最近の日課は、寝る前に「きょうのしあわせ」を3つ日記に書くことです。例えば、今日だったら、①おばあちゃんちの畑の野菜たちが雨粒を纏ってぴかぴかだった、②面倒でも積み重ねることの大切さを感じた、③たまごボーロが美味しかった、みたいな。(笑)

この習慣を始めてから、ちいさな出来事にも焦点を合わせて、そっと掬えるようになった気がするし、3つ思いつかない日は、今からでも自分に少しご褒美をあげようって、適度な休息の目安ができたし、以前よりも、わかりやすく、日々を大切に過ごせているような気がします。

前回のnoteでも、自分の普通を貫く、つまり、「自分の価値は自分で決める生活」を心の真ん中に置くことを綴ったのですが、それを実生活に落とし込むために始めたこと、それが「しあわせみつけ」なのです。

「価値」とか、「しあわせ」とか、漠然としていて、意味の広い単語をどんな風に解釈するかは、もちろん自由だけれど、何を大切にするかによって、その人の生きてきた歴史が映るような気がします。

そんな、私のしあわせには、色々な色があります。一人でじっくり味わうしあわせ、誰かと共有できたしあわせ、その瞬間のしあわせ、こつこつと積み重ねるしあわせ、ささやかなしあわせ、苦しいけれどしあわせ、何年か後に気付くしあわせ、どんな人から見ても明らかなしあわせ、等々。

字面だけで判断すれば、矛盾した場面に見えるかもしれないけれど、自分という輪郭の内側で感じるしあわせと、外側で紡がれるしあわせは、いつだって、相互作用的な関係だし、瞬間も、過去も、未来も、一直線上にあって、結局繋がってしまうので、全部ひっくるめて、「しあわせ」と呼ぶことにしています。

結局、「しあわせ」なんてものに正体はなくて、「これまで歩いてきた人生の中で集めた心地よい感情や、憧れた思想の結晶体のなかに自分が在るのだと気付いた状態」を、明確に表現するために、説明するために、仮に「しあわせ」という名前を付けただけなのかな。なんて、ぼんやりと考えてみるのです。

「明るい未来を信じていれば、きっとしあわせになれる。」

これは、最近の私の口癖です。根拠なんかありません。けれど、今は、嘘でもそう言っていたい気分だし、自分で自分の機嫌を保っていた方が、自分の「しあわせ」に気付くことができるように思えるからです。独りよがりでちょっと滑稽だけれど、人生の脚本を書くのは私なので、今はこうしていたい。

「しあわせ」が「状態を表す言葉」ならば、「価値」は「しあわせのものさし」である、なんて発想を広げてみると、面白く腑に落ちます。

「しあわせ」を知るというのは、逆も然りで、「ふしあわせ」に出会うことだって、そりゃあ、もう、当たり前にあるのですが、0よりマイナス方向の自分を知るのもまた楽しいね。なんて、呑気に考えているのが良い気がします。

もちろん、「ふしあわせ」に焦点を合わせて、じっくり悩んでみるのも悪くないと思いますが、あくまでも、自分の取扱説明書を作るつもりで、淡々と。嘘でもいいから、どっしり構えて、開き直ってみると、いつもと違う景色が見えるかもしれません。

谷川俊太郎さんの「しあわせについて」という本の中で、『青空みたいなココロ、でも少しは雲もある。』という一節があるのですが、声に出して読んだとき、何故かぎゅっと心を掴まれました。すごくリアル。

私のものさしと、あなたのものさしは、少し違うけれど、ここは同じだね。うーん、どっちも素敵だね。あなたの雲はそういう形なのね。私のおひさまはこんな色よ。なんて、尊重しあえる社会になったらいいなぁ。小さな対話の積み重ねが、互いの歴史を知るきっかけになるかもしれません。

そのためには、やっぱり、まず、自分を知ることが第一歩ですね。

そんなに時間がかからないし、案外あっという間に1週間分溜まるし、見返す作業がとにかく面白いので、よかったらやってみてください。

今日はこの辺りで。リンクは、谷川俊太郎さんの一冊です。『幸せは自己中です』なんて、ドキッとするフレーズが散りばめられていて面白かったので、機会があれば是非。

ここまで読んでくださってありがとうございました。


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