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恥の多い生涯を送ってきました

有名な台詞。私も彼に負けないくらい恥の多い生涯だった。でも私と彼には圧倒的な違いがある。それは彼は「書ける側の人間」ということ。
その才能だけで、彼の恥は全て許されたと言っても過言じゃない。

私にはなんの才能もない
だけど何かを見つけたい

自分がここにいて、こうして生きていることを誰かに知っていてほしい。
自分勝手でわがままで浅はかな欲望を内に秘めて私は日々なんでもない生活をしている。


結婚した2017年
離婚した2018年
上京した2019年
そしてやり直す2020年、のはずだったのに。
今までのいくつもの選択も、たどり着いた上京してeスポーツのお仕事をするという未来も未知のウイルスにより、あっけなく消え去った。


ウイルスは目に見えない。
だから2020年最初の頃、中国の取引先がコロナで倒産したって言われても大きな問題だなんて理解していなかった。
どんどん仕事が減り、都が自粛を促すようになり、マスクをつけるようになってもいまいち実感が湧かなかったのに、スーパーのパスタの棚が空っぽになっていたときにはじめて「ああこれは自分に関わることなんだ」と怖くなった。

オリンピックが中止になる頃、ついにお仕事が無くなって、やむなくコールセンターで働いた。割り当てられたお仕事は、持続化給付金の問い合わせ窓口。中小企業の代表やフリーランスの方々からの問い合わせは嫌になるほど生々しく、この電話が誰かの命に関わっているのか、と私の心は圧迫して気づいたら弾けて飛んでしまった。
そこからはただただ流される日々。
一緒に住んでいた恋人が生活のため、したくもないアルバイトを一生懸命にしてるのを横目に、私は毎日起きて食べて寝ての繰り返し。
倒産した会社が悪い、コロナが悪い、こんなはずじゃなかったのにと全部他のせいにして怠惰に過ごした。
プールもお祭りも花火もしなかった夏は初めてで、この暑さで地球も溶けて全部無くなっちゃえばいいのにって呪詛を唱えて一夏超えた。
いい加減なんとかしないとって頭では分かってた。きっと彼だって呆れてるし、親だって心配してるだろうし、なにより私が私のことを許せなくなっていた。
働かず、誰とも会わず、そんな毎日はどんどん体力を消耗していくのだ。なにもしていないのに、してるころの何倍も身体はだるく疲れてどんどん睡眠時間が長くなった。
当たり前だけど自分がいなくても世界は廻っていくことを実感させられてしまう。
このまま深く眠りについて、そのまま目が覚めなければいいのに。毎晩そう思っていた。


そうして気づけば季節が冬に変わる頃、一本の電話が鳴った。
前の会社の上司から、新しいお仕事の連絡だった。
年明けの大きなイベントの企画書の作成の依頼。ただ、本当に実施できるかどうか分からないとのこと。
祈りにも似たそのお仕事を私は引き受けることにした。もしかしたらお金は出ないかもしれないし、企画書は全てぱあになってしまうかもしれない。むしろその可能性の方が高い。
だけど、少しでも実現の可能性があるのなら。またみんなで好きな人が集まる空間を作り出すことができるかもしれないのなら。
そうして書き上げた企画書を提出した。
悩んだけれど、結局オフラインで集まることのできるイベントを考えた。依頼してきてくれた会社やその先の県や色んな人の希望を込めて。なによりも自分のために。

そして、私はまた仕事をしようと思った。
なんの才能もないけれど、考えることとそして伝えることはできる。

2020年の私の選択はきっとずっと間違っていたけれど、だけど最後に少しだけ正しい選択ができた気がする。いや、正しくするのだこれから。そう心に決めた。

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