引っ越しをきっかけにモノについて考えた

最近よく「モノ」について考える。

きっかけは半年前に引っ越ししたことだ。ワンルームマンションからシェアハウスへと引っ越しをした。

シェアハウスへ引っ越した経緯については、また後日綴ろうと思うが、とにかく狭いワンルーム生活が嫌になり、なんとなく引っ越したのだ。

そのワンルームでは約3年半暮らしていたが、引っ越しの際に自分の物の多さに愕然とした。

もともと物を買うのは好きなこともあるが、昔から音楽が好きなこともあり、CDやレコードが大量に増えていた。

そこで、この引っ越しをきっかけに少し「モノ」との距離を置くことを決める。

そもそもシェアハウス内での自分の部屋は、前住んでいたワンルームより狭いため全ての荷物を持ってはいけないのだ。

しかし、思入れのある物も多く捨てることができない。そこで、3畳ほどのトランクルームを借りてそこにすぐには必要のないものを入れることにした。そうすることによって物との距離を置くことができる。

今までも引っ越しをするたびに新しい住居に運んでいた大量のCDやレコードもそこに入れることにした。

今まで引っ越しをするたびに運んでいたCDと距離を置くのは、少し寂しい気持ちだった。


そして、引っ越してから約7ヶ月が過ぎた最近、気づいた。

「CDやレコードがなくても全く何も困らない」

今の時代においては、SpotifyやApple Musicなどの音楽サブスクリプションという音楽を聴くためには最強のツールがあるため、CDやレコードは必須ではなくなってしまったのである。

残念なことに、サブスクでは大好きなMy Bloody Valentineを聴くことができないのだが、You Tubeさえ開けばその問題も解決してしまう。

学生のときから、少しでも多くの良い音楽に出会うためになけなしのお金をはたいて買っていたCDは、今や必要がなくなってしまった。

それでさえも、家の中でCDやレコードを漁るのは好きだったし、部屋にジャケットを飾って置くのも好きだった。

しかし、CDやレコードがない生活を半年以上過ごして、CDやレコードが必要がないことが証明されてしまった今、じわじわと悲しみが湧いてくる。

その一方で、モノから距離を置いた生活は、肩の荷がおりたように精神的に楽であり、自由であることを最近感じるようになった。

モノというものは人の暮らしを豊かにするものである一方で、人を縛るものであるかもしれない。

モノが多いと人は動きにくい。物が多いと、引っ越しが億劫になる。

旅をするにしても、荷物は少ない方が動きやすい。

「引っ越しをすると人生が変わる」というが、引っ越しをする際にはどうしても自分の所有物と向き合わなければいけない。その時間は、人生においては重要な時間であるので、人生に行き詰まったら「引っ越し」をすることをおすすめする。

特に人間は思っている以上に周りの環境に影響を受けやすい。住んでいる家の周りの環境もしかり、家の中の環境だって、かなり重要である。

家に関しては賃貸にするか、購入するかという議論は長年続いているが、個人的には絶対的に「賃貸」派だ。

なぜ持っていないお金以上の物を買おうとするのだろうか。なぜ何十年ものローンに縛られて生きていきたいのか。売却ありきで購入する人も多いが、このような時代ではすぐに買い手が見つかるとも限らない。そもそも不動産が資産となったのは人口増加と高度成長が前提だったからであり、今の時代においては、持ち家のメリットはかなり少ないように思える。

いつまでも日本で仕事があるとは限らない時代においては、長期の住宅ローンで将来の選択肢を封じるべきではないかと思う。

そのうち自分の考え方も変わるのかもしれないが、今のところは同じ環境にしばられず、常に移動ができるような身軽さでいたいと考える。


最近、「365日のシンプルライフ」というフィンランドのドキュメンタリー映画を見た。

ヘルシンキに住む26歳の主人公が、失恋をきっかけに、全ての物をリセットする実験を行うという内容である。

この実験には、全ての物をリセットする4 つのルールがある。

ルール1:自分の持ち物を全て倉庫に預ける
ルール2:1日1個だけ倉庫から持って来る
ルール3:1年間、続ける
ルール4:1年間、何も買わない

この実験を通して、主人公が「人生で本当に大切なものは何か」を問いていくストーリーである。

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物を簡単に手にすることができなくなると、持っている物を大切に使おうとする。

この映画の中でも、洗濯機や冷蔵庫が壊れてしまう場面があるが、普段ならすぐに買い換えてしまうところを一所懸命に修理しようとしたりする場面にハッとさせられた。

物を簡単に安くで買うことができる社会では、物を大切に使わなくなってしまう。

・壊れてしまったら買い換えよう
・汚くなったら新しいものを買おう
・まだ使えるけど最新の機能が付いたものの方が良いから買い換えよう。

このような考え方が社会に定着してしまっている。

簡単に物が買えないとなると、壊れないように使おう、壊れてもなんとか修理しようなど、人々は知恵を使って物を扱うようになると思う。

物が簡単に買える社会では、物を長く使うための知恵が消失してしまい、何も考えることなく消費を繰り返す。

本当にこのような社会で良いのだろうか。


最近読んだ「持たない暮らし」(著者:下重暁子)という本の中では、「物からの解放は心の解放だ。自由に、人間らしく物への強迫観念から逃れて暮らす。それが21世紀の課題なのである」とある。

この本では、長年生きてきた著者ならではの「物を大切にして暮らしていく」ことについて書かれてある。

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大量生産・大量消費の社会の中で、人々はモノを多く持ち過ぎてしまったように感じる。

しかし、最近はデジタル化の進展を背景に、大量生産・大量消費の時代は終焉を迎えつつある。

昔に比べて家や車を買う人も圧倒的に減っている。
最近では「シェアハウス」や「シェアオフィス」「シェアカー」など個々に物を所有せずに空間や物を他人と共有することがトレンドになっている。
この風潮から見ても物を所有することを避けたがる人間が増えているように思える。

大量生産・大量消費の時代の中で生まれた、できるだけ持ち物を少なくし、最低最小限の物だけで暮らす「ミニマリズム」という考え方や、物への執着を捨て物を捨てることを旨とする片付け術の「断捨離」という言葉が広まったのは2010年ごろからである。

物を所有しなくても暮らすことができ、物を持たなくても楽しめるようになった今の時代においては、物を手放すことがトレンドになることも頷ける。

これからの社会では、間違いなく物を持たないとシンプルな暮らしがスタンダードになるであろう。

そもそも日本においては、質素で静かな様子や不完全であることをよしとする「わびさび」という美意識の文化が昔から存在する。

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この日本特有の感性を生かし、これからはモノに支配されない質素な暮らし、いわゆる「シンプルライフ」を目指していきたい。

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