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「たりないふたり」に足りていたもの

まずい。
ハードディスクの残容量がわずかだ。

最近はドラマを毎週1話ずつ観るよりも、完結したあとで2晩ぐらいかけて全話一気に観るほうが適切な楽しみ方とさえ感じる。

夫が寝静まってしーんとした部屋の照明を落として、スマホは一足先におやすみモードに切り替える。
左手にキンミヤのお茶割り、右手はリモコンでCMを飛ばしながら鑑賞すれば、ドラマを見終えるのも、夜が更けるのも、あっという間である。


「だが、情熱はある」
オードリー若林さんと、南海キャンディーズ山里さんの半生を描いたドラマだ。

楽しみにしていたドラマでありながら
まだ手をつけていなかった。

これにしよう。


「たりないふたり」は
若林さんと山里さんのコンビ名である。

若林さんは憤りの権化みたいな人だし
山里さんは嫉妬の権化みたいな人だ。
(今は違うかもしれないけど)

「パスタ」が言えない若林さん。
とにかく復讐に燃える山里さん。

ひねくれてて、とっつきにくくて、
もしこんな人が近くにいたら面倒くさいだろうと思う。

でもすごく魅力的なのだ。
それはドラマのなかでもあったように、さらけ出しているから。
もはや「漏れている」といっても、過言ではない。
多くの人が表には出せないが内側に持っているであろうドロドロした気持ち、ネチネチ言いたくなる気持ち。

2人が代弁してくれているように感じるし、そう感じるのはわたしだけじゃないからこの2人が世間に受け入れられ、支持されるのだろう。

むしろ2人のおかげで陰キャも日の目を見るようになったといっても過言でないかもしれない。
以前からアメトーークでは「中学の時イケてないグループ芸人」やら「人見知り芸人」の企画はあった。
でも陰キャが陽キャを演じる必要なく、おもしろおかしく盛る必要もなく、「面倒くさいけどおもしろいよね」と思ってもらえるようになったのはやっぱり若林さんと山里さんの功績じゃないかと思うのだ。


ただこの2人が「猛烈にひねくれてる嫌なヤツ」で終わらなかった要因。
彼ら自身の努力とか、お笑い芸人という目立つ職業とか、いろいろあるだろう。
なかでも大きかったのは「その魅力に気づき、2人を引き合わせ、場をつくり、見せ方を考えてくれたプロデューサーさんの存在」ではないか。

だって本人たちは魅力とも認識していなかったのだから。
オードリーの芸も、南海キャンディーズの芸も、独特の雰囲気だけど毒舌なわけではない。
スタジオや舞台以外での彼らの表情を、目を見て気づき、動いてくれた人がいる。


がんばりや魅力に気づいて東奔西走してくれる人に、わたしたちだって出会えるかもしれないし、残念ながら出会えないかもしれない。

出会えなかったとしても、誰かから言われたひと言はだいじにしておきたい。
自分が魅力とも思っていなかった一面を、実は魅力だと言ってくれる人。
たりないものを足してくれる人。
それが2人にも3人にもなれば、もしかしたら自分で自分をプロデュースできるかもしれない。

フリーランスは自分で自分をプロデュースしていかなくちゃいけない。
仕事の場に限らず、いつどこでもプロデューサー目線、意識していきたい。

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