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韓国人の友人との出会い

ペンパルサイトを通して文通とメールを初めた

韓国の留学を控え、当時の私が真っ先に始めたのは
韓国人の友達作り。
今は交流できるアプリがたくさんあるみたいで、気軽に出会って連絡を取り合うことができるし、スマホが出現してカカオトークやLINEで本当に超簡単にやりとりできるから羨ましい。便利な世の中になりました。

2000年代前半は、ガラケー時代だったので
私が韓国人のお友達作りに利用したのは、ペンパルサイト!!!

ペンパルサイトで今でも続く友人と出会う

当時使っていたペンパルサイトは、もうなくなってしまっていますが
世界中の人とメールや手紙をやり取りするためのサイトがありました。
私はそこで、同い年のソヒと、2つ年上のギファンと出会いました。
ソヒは、ソウル市内の大学2年生で新村に実家がある女の子、ギファンは空港警察隊として兵役についていた大学生のオッパ(お兄さん)でした。
※当時ペンパルにハマったので、他にも、イギリスのアルフレッドや、アメリカのエリックという2人のペンパルもいました。←英語の勉強も兼ねて韓国留学前まで文通を続けてました。

韓国人ペンパルとのやりとり

2人は、単純に外国人の友達を作りたかっただけで、日本語は1ミリも分からない状態だったので、最初は英語でやり取りを始めました。
ソヒとは何故かとっても気が合って、メールで週に3回くらい連絡を取り合いながら、仲良くなっていきました。ギファンオッパは、ケータイの使えない兵役中なので、手紙でやり取りしてました。住所が仁川空港 空港警察隊第▲部隊 だったことだけはしっかり覚えています(笑)
国際エアメールは時間がかかるけど手紙を待つ時間も楽しくて文通大好きでした。

私は勉強したての韓国語を織り交ぜたりして、韓国語を紙に書く練習をギファンオッパにたくさん助けてもらいました。

母との留学先下見旅行でソヒと初対面

留学前に行った韓国旅行の時に、メールのやり取りをしていたソヒとホテルのロビーで会うことに。
お互い写真を数枚送り合っていたけど、実際に会えた時には嬉しくてお互い泣きました笑)
旅行後もメールでやり取りを重ねて、留学初日も下宿生活スタートするときにもたくさん助けてもらって、韓国にいる間は本当によく一緒に遊びました。
彼女から、韓国の現役大学生の日常だったり、ソウルの家庭の暮らしだったり、おいしいごはんやさんだったり、韓国語の会話だったり、本当にたくさんのことを学んだ。
今でも友人関係が続いていることには感謝しかない。(けど、彼女は今旦那さんの仕事の関係でアメリカ在住 T_T)

ギファンオッパとは仁川空港でドッキリ初対面

兵役中だったギファンオッパとは、手紙でやり取りしていたけど明るくて優しくてお兄ちゃん!という感じ。
警察隊の仲間と撮った写真を送ってもらったりして、顔は分かっていた(イケメンすぎてビビった)
休暇が取れなくて会えるのは除隊後の5月かな?なんて言っていたんだけど、なんと留学の渡韓当日に、仁川空港で警備中のオッパとばったり会うことができた(笑)
このミラクルは、実はミラクルなばったりじゃなくて、私のフライトに合わせて仲間に配置交代を懇願して交渉してくれたらしい。
日本からへたくそな韓国語の手紙が届くことを、部隊の仲間も知っていたし、なんなら私の面も全員に割れていたという始末 笑

警察隊の制服(ほぼ真っ黒)に、でっかい銃を背負ったオッパは、イケメンに加えて更にイケメンだった。その時のことは、とにかくイケメンだったことしか覚えてない(笑)
規律違反になるから、会話はほとんどできず、ケータイ契約したらムンチャ(ショートメール)を送るね!とだけは伝えることができて、その後無事韓国内で連絡を取り合うことができるようになってオッパの除隊後はよく会って遊びました。イケメン過ぎて常に彼女もいたし、私は完全に世話の焼ける妹的立ち位置で、目の保養兼友達という健全な関係でした(笑)
今はとってもきれいな奥さんと、済州島で暮らしています。全然会えないけど、カカオトークもFacebookでも交流していて、いつかまた家族同士でも会えたらいいね!と話しています。

まとめ

昔はガラケーだったのと、国際電話が超高額だったので
海外の人同士が自由に交流することが難しかったです。
お隣の国韓国でも、手紙が届くまで1週間以上…今よりももっと”海外”という感覚でいた気がします。
彼らがいなかったら韓国留学のスタートは右も左も分からなくて暗黒だったかもしれません(笑)

韓国への留学を考えている方、今なら気軽に知り合うことができるので
ぜひ現地に友人を作ってみてください。
<おかしな詐欺にはひっかからないように気を付けて!!です>

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