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夏になると思うこと

最近暖かい日も増えて、すっかり夏の風とあの匂いを感じるようになってきた。

だんだん肌の露出も増えてくる季節になり、いつも思うこと。
それは見た目のこと。ダイエットとか、夏までに痩せるとか、嫌でもそういうことを意識させられる。

本当にまじで余計なお世話だよ、と思う自分がいる一方で、やっぱりもうちょっと痩せた方が世間的には良いよな、と思ってしまっている自分もいて、無意識に疲れる。

インスタだってYouTubeだって、夏までに頑張ろうとか、最後の追い込みとか、そんな必死な謳い文句で溢れてるし、何よりそれを達成している人=勝ちみたいな雰囲気がやっぱりそこにはある。

ソーシャルメディアには、”細くてかわいい人”がたくさんいて、そんな人全く知りもしないのに自然と比較対象になってしまう。最近は特にK-popの影響も計り知れないと思うし、とにかく体型に対する美醜の基準が知らないうちに刷り込まれている。そして、一番皮肉なのは自分の価値観も刷り込まれた通りのものだということ。

たとえ自分で自分の見た目を受け入れることができたとしても、周りの共通認識が”細い=善”だったら、普通の自信ならきっと簡単に崩れてしまうだろう。 

もちろん、自分の意志で自分を変えていくのは本当に強いし、すごいことだと思う。
ただ、その"痩せたい"の根底にあるものをちゃんと理解していたい、ということ。
それが他人と比較して、他人の目線が気になって溢れてくるものなら、遅かれ早かれ苦しくなってくるだろう。だって、それは自分のためではなく、痩せている=正解というエゴに縛られているだけだから。

まあ、こんなことを言っておきながらも、こっちの人のように太っていようがいまいが気にも止めずにお腹を出して、ピッタリのヨガパンツを履くということは、やっぱりできない。小っ恥ずかしいし、何より自分の見た目じゃそんな大胆な服はちょっと、、と思ってしまう。もはや条件反射。思考停止。

こんなことをもう何年繰り返しているか分からないけど、いい加減痩せるか諦めるか(受け入れるか)しないと解決しないんじゃないか、とも思う。もちろんどちらの選択も間違ってるとか合っているとかではないし、それ以上でもそれ以下でもない。

ただ、大大大前提、わたしは太ってるわけでも痩せてるわけでもなく、至極普通の健康体。こんなに有難いことはない。

ただ、盲目的に痩せたいと思っているのか、痩せたいの先に何かがあるのとではやっぱり過程も結果も大きく変わってくる。
今のわたしは、やっぱり食べたいものを美味しく食べたいし、それが幸せの一部でもある。現代の"美しい"からは多少外れているのかもしれないけど、これからも美味しいものをたくさん食べて、元気でいたい。



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