音楽は耳で奏でる
こんにちは!マリオカートは何回プレイしても、高確率で最下位になる自信があるあみゅーじっくです。😅
今回は「音を奏でること」についてお話します。
今回の内容はゴリゴリ音楽の内容です。たまには音楽を語らせてください。
そういえば自己啓発系ばっかりだったので(笑)
音楽を一生懸命やっている人へ。苦しいこともあると思います。
この記事が何かの参考になれば嬉しいです。
あなたが楽器を演奏するとき、どうやって音を奏でていますか?
ピアノなら指。弦楽器は指や腕。打楽器は腕や足。管楽器は口。歌はノド。
物理的な話をするとこうなりますよね。
でも音楽を追及している人って、ついついこの物理的な話に執着するようになってしまうんです。
例えばピアノなら「ここが弾けない!指が動くようにしなきゃ!」みたいに。
そして機械的にハノンなんかを開く。
やりがちですが、ちょっと待ってください。
私たちは物理を学びたくて音楽をやっているんでしょうか。
初心者の頃は確かにキソをやるように教えられます。キソが大切であることは言うまでもありません。
ですが私は、この教えがのちの音楽人たちを悩ますことになっている気がするんですね。
いつしか、小手先で演奏を攻略しようとし始める。
思うような表現ができないとき、どういう体の使い方をすればできるか、という視点から考える。
でもなかなかできなくてイヤになり、いつしか趣味が義務に変わる。
遊び感覚で楽しんでいるときはできていたのに、一生懸命になったらどうして壁が出てくるんでしょう。
それは、音楽をやるうえで1番大切なことを忘れてしまうからなんです。
音楽を紐解く
音楽をやるうえで1番大切なことは何か。
それは、「心を置き去りにしないこと」です。
そもそも「音楽」とは。
「音」を「楽しむ」と書きますよね。
「楽しめてない」時点で、それはホントの意味で「音楽をやっている」ことにはならない。ただ「音を鳴らしている」だけです。
世の中にはたくさんの学問がありますが、私はその中でも「音楽」は特殊だと思います。芸術分野と呼ばれるものはすべてそうでしょう。
答えが決まっていない。演奏者が奏でた音楽すべてが「正解」となる。
人間の心の中が恐ろしいほどに伝わる学問です。
「みんなちがってみんないい」という言葉があるように、音楽も「みんなちがってみんないい」んです。人それぞれをありのままに表しているんだから。
つまり「音楽」は常に自由じゃなきゃいけない。
逆に自由が奪われた瞬間「音楽」ではなくなる。
「キソ」という物理によって心が置き去りになっている人が、とても多いように感じます。
そして私ももれなくその1人でした。
「音楽」は耳に届いて初めて価値を持ちます。それなのに演奏者は物理的な面ばかりに集中してしまう。
実際に音が聞こえてはいるけれども、届いてはいない。
練習を重ねれば重ねるほどわからなくなってきますよね。
そんな時には、一度深呼吸です。
「音」を「楽しんで」ください。
私はピアノ人なのでピアノでお話させてもらいます。
聞こえてくる音に何も考えず身を委ねてください。
こういう音を出すには、どういう弾き方をすればいいのだろう、ではありません。思いのままに心で歌うんです。耳で聴くんです。
そうすると、イメージ通りの音が聞こえてくるハズです。
体は勝手についてきます。無意識で、出したい音が鳴るような体の動きになっています。
イメージ通りの音が鳴ったとき、今までより自然に音楽が流れていくと思います。そして「楽しい」と感じられると思います。
耳と心が、音楽の世界に指を連れて行ってくれる。
そんな風に捉えるともっと楽に「音」を「楽しむ」ことができます。
耳で奏でたとき初めて、私たちは音楽と1つになれる。
そしてそれぞれの人間のリアルが伝わり、人々の心を揺さぶる。涙を誘う。
楽器を演奏していて、楽しめなくなってしまうこともきっとあると思います。
そんなときは、少し休憩。
そして「音楽」がどういうものだったのか、ゆっくり思い出しリセットしてください。
優しく心から寄り添えば必ず答えてくれる。
それが「音楽」です。
楽しんでこそ「音楽」。みなさんで一緒に楽しんでいきましょう!
NO MUSIC!NO LIFE!
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