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自分の親近感について

私は、車の運転をします。
家では、猫を飼っています。

この、私にまつわる2つの事について、
特になんとも思わず、特に考えたこともなく、
47年生きてきた。

ある日、車に乗らない友人と話をしていた時、
「あたしは、自分の親も車乗らへんから、
自分が車の免許とるとかゆう選択肢なかってん」
と言ったのを聞いて、衝撃が走った。

そういえば、私の親は二人とも車の運転をする。

なるほど!と頭の中で
右手の拳を、左の手のひらに打ち付けた。

猫も小学校二年生の時から、ずっと
何匹も家にいた。

親から提供されていたのだ。

あらゆる選択は、自分でしているつもりだか、
子供の頃に親から提供されるものが、
そのまま私の中の親近感として根付き、
選択の基準を作っていた。

当たり前といえば当たり前、
でも、自分で改めて考えたことはなかった。

そういう目で、自分の行動を振り返ると
たくさんの親近感が見つかった。


親近感とは、
本来、人に対して使う言葉なのだろうけど、
私の中の、この感覚に一番当てはまる言葉だったので、ここでは、
[無意識に、なんの違和感もなく
生活に取り入れている自分の行動。]
という意味で、使ってみてます。


提供されていたけれど、親近感にならなかったものも見つかった。
いや、途中までは親近感として根付いていたが、
ある時から、私はやめよう。と思ったのだ。

それは、子供には受け継がせたくないと考えたから。
自分には負担だと感じたものだったから。

でも、何も気づかなければ、
きっと無意識にそう行動し、子供たちに受け継がせていたかも。
それはそれで、子供たちは負担に思わない事かもしれないけれど。。。

自分の中の親近感は、無意識の中に溶け込んでいる。
それは、意識されることなく行動に移すので、
その事について、考えたりする事もない。

[私]とは、
こういうもので出来ているのだなぁと、
ふわふわっと形をみた、ある日の頭の中でした。

あなたは、どんなもので出来ていますか。

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