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追悼と、悔しさ


大雨、感染症、心が動く出来事が続く
どうか、皆さんが無理なくいられますよう

そんな世の中に生の儚さを想う時、
いつも思い出す
大好きな芸術家、クリスチャン・ボルタンスキーさんが亡くなって今日で1か月になった。


2019.6.14、国立新美術館の個展『クリスチャン・ボルタンスキー - Lifetime』で、初めて彼の作品と出会った

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                   (国立新美術館『Lifetime』にて)

「不在」や「死」によって、現在の「生」を感じる
(大地の芸術祭 「影の劇場~愉快な幽霊たち~」解説より)
私たち人間の記憶や歴史、死や不在などをテーマにしたものでしょう。それは、展覧会場のどこを歩いていても感じられることです。矛盾するようですが、それはまた、私たちの生と存在を強く思い起こさせます
 (https://www.pen-online.jp/feature/art/boltanski_lifetime/2)


うまく、ことばが出てこない
こんなコンセプトの、彼の作品に、彼の世界観に
ただ、ただ圧倒され、魅せられ
2か月後には、新潟・越後妻有の彼の代表作「最後の教室」を訪れた


恐れ、遠ざけたくなる"死"や"不在"
何かでも大切なことがそこにある気がして、
胸がきゅっと痛むけど、向き合いたいと思う気持ちがあった

だいじょうぶ、ちゃんとそこに大切な何かがあると
確かに彼が、信じさせてくれた気がする

子どもたちと向きあい、ひたすらに"生"を感じ続けていた私だけれど
気づいたら介護や高齢分野ともかかわりをもつようになったのも
彼の世界観との出会いが、きっかけだったかもしれない

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           (新潟越後妻有、大地の芸術祭「最後の教室」にて)


彼は、宮城県(私の地元)の南三陸に来年できる震災伝承施設に作品をつくる予定だったという

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23775

震災で、たくさんたくさんのものが失われ、生まれた被災地で
"喪失"や"不在"と、人々が向き合い続ける土地で
彼は何を残そうとしていたのだろう

きっと、彼のテーマを体現し続けるような
本当の意味での被災地の、大切な道標に、シンボルに(語弊があるかもしれないがあえて使いたい。たくさんの死や喪失の中に、生きていくうえで大切な大切な何かがあると、私はいつも被災地で感じる) なったのだろう

考えていると、涙がこみあげてくる

みたかった、残してほしかった
死を、生のサイクルを受け入れるというのが彼のメッセージだけど
彼の死が、私はたまらなく惜しく、
被災地に、東北に彼の作品が残らなかったのが、たまらなく悔しく、悲しい
悔しいというのはおかしいけど、そんな気持ちが確かにある

彼の遺志を、想いを、つなげていきたい
私は、何ができるだろう
今いる場所でも、東北でも
考え続けていきたい

心から、ご冥福をお祈りいたします

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