見出し画像

やさしい世界

書きたいことがたくさんあって、大切に書きたくて、たまっていたものを。

1か月ほど前のこと
久しぶりに、怒りの感情が爆発した
この社会が、世界が、たまらなく嫌で
苦しくて、悲しくて、悔しくて、怒りで、涙が出てきた

なんで本当に大切な友人たちが、無駄に傷つけられなきゃいけないのか
なんで生きる意味とか価値とか生産性とかじゃなく、生きてていいってみんな思えない社会なのか
なんで何も悪くない人たちが、無意味に苦しまなきゃいけないのか

ある同世代の友人が先日の企画の中で
”このいまの社会の中で、どうやって希望を見出して生きたらいいのか”と
すごく痛切な問いを投げかけてくれた
いまのわたしは何と答えられるだろう


***

ひとは、本当は優しくて、あたたかい存在だと思う
ほんとうは
ひとはひとを思いやれる
ひとは自分をいたわれる

仕事を通して子どもたちと関わっていると、
心からそう信じられる
だから、希望を諦めたくない
自分のためにも、友人たちのためにも、
いま関わる子どもたちのこれからのためにも
世界はきっともっと優しくなれる

***

私の身近なところで最近聞いただけでも
職場で心を殺されかけた友人
生活の不安と隣り合わせで心休まらない友人
人のしんどさと、身も心も削りながら日々まっすぐに向き合い続ける友人
性被害やDV、ストーカーに苦しむ友人
コロナで雇止めにあって寒い中駅前で物売りする外国の方(声を掛けたら幸い支援団体にはつながれていた)
コロナ下で、孤独感がやばいとSOSをくれた友人
大切な家族を守るために、コロナが迫った病院で働きながらためてきたお金を使って自費で数週間ホテルで過ごしていた友人

みんな誰も悪くないのに
苦しい

どうか、みんなが
自分を生きられますように…
わたしに何ができるだろうか


***

小4の頃から環境問題と10年くらい向き合っていた
小学校の頃は新聞をつくったり、高校では環境NGOでボランティアしたり
大きい問題に対してのちっぽけな自分の無力感と、
それでも使命感と小さな力の希望との間でずっと葛藤しながら
自分なりにずっと活動してきて
世界とか社会とか、大きいものに立ち向かうのは正直もう少し疲れていた

でもやっぱり、自分の手の届く範囲の世界から社会から
大きな世界や社会を見据えて、世界を紡いでいきたいのだ

ゆるゆるとやっている活動も ( https://note.com/awairo_story )
わたしの身近な大切な人たちに届けたくてやっているけれど
根っこにあるのは”みんなが自分を生きられる、やさしい世界を紡ぐ”という想い
小さな小さな場づくりからだけど、
淡い色を受け取りあえる文化をこの世界に紡いでいきたいのだ
そう再確認したら、いまより、もう少しだけ頑張りたいと思った
小さく一歩、踏み込んでみる
( https://note.com/awairo_story/n/n95ffd664e584 )


私の大切な人たちの世界が
私の大切な人たちのまわりの世界が
私がまだ出会ってない誰かの世界が
いまより少しでも、やさしくあれますように

私にできることを、小さく、ひとつずつ
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?