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あなたはやっぱり素敵な人だった

帰宅途中、公園で遊ぶ父と子の姿を見かけた。「あれっ、もしかして山内君⁈」そうだろうなあ。彼ならいい夫、いい父親になっているんだろうなあと、昔を思い出しながら通り過ぎた。

高校三年生の時、クラスで近くの河原でピクニックをして、お昼にカレーを作ろうということになった。ほとんどの男子生徒が料理は女子の分担だというなか、山内君が男子と女子同数で料理をするべきだと発言し、そのうちの一人を買って出たのだ。カレーの食材を手際よく切り、炒め、ルーを入れて後は煮込むだけ。他の男子をうまく使ってほぼ一人でやってしまった。

女子生徒も呆気に取られて見入っていたくらい、女子よりずっと手慣れたもんだった。その後、会うこともなく、今日こうして見かけたのは何年ぶりかしら。

それから程なくして、保育園から出てくる彼を見かけたが、朝の出勤時で声をかけるのも憚られた。その週の日曜日、日課にしているジョッギングでいつもの公園を通った時、山内君がベンチに座っているのを見かけた。

私を覚えているか不安だったけど、思い切って声をかけた。「今日は、お子さんと一緒じゃないんですね?」山内君は、不意をつかれたように顔を向け、にっこり笑った。「やあ、久しぶり」記憶にはありそうだった。

「ああ、あの子ね、兄の子なんだよ」お兄さんが、事故で入院したので、在宅勤務を利用して手伝いに来たのだそうだ。会社は地方都市にあるらしい。兄嫁は看護師なので、どうしても手伝いが必要だったとか。

昔話に話題が及び、例のカレーの話をした。山内君は笑いながらその当時のことを話しだした。彼のうちは、両親とも共働きで、食事や家事は三歳年上の兄と一緒にこなしていたそうだ。

料理の手ほどきは休みの日に母親から受けたそうだが、ほとんどのことは兄から学んだと。だから兄の一大事には何を置いても駆けつけたと言っていた。何より、甥っ子が寂しい思いをするのはかわいそうだから、と。

「君の方は、どうなの?順調?」私は、日々の職場の状況を話した。会社の理不尽さに、異議を唱えるたびに気まずい思いをし、明日も出社するのが気が重いと。「どんなにできない男でも、できる女より上なのよね。男社会は!」

彼は同情するように言った。「うちの母が君と同じことをよく言っていた。母の時代は寿退社とかお茶汲みとか、まだ残っていた頃だから。きっと辛かったんだろうね。仕事でも、チャンスが与えられないって。同じチャンスがもらえたら、私だってやれるのに、チャンスさえ与えられないって。」

考えると気が遠くなりそうな問題だ。いまだに彼のお母さんと同じ問題で苦しんでいるんだもの。急激な変化は望めないのかな、と思うと悲しくなる。

「君の怒りはよく分かるよ。それは、正常な感覚だと思うよ。だからそんなことで傷つかない方がいい。自分の思った通り発言すればいいじゃないか。じゃないと、君の苦しみが無かったことにされちゃうよ」

山内君は、今夜会社のある地方都市に戻るそうだ。「君も煮詰まったら、遊びにおいでよ。案内するよ。地方の時間はゆっくり流れているよ」




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