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未来の私のために。あの時何に感動したのかを思い出すために。

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今日ときめいた言葉。日常生活で出会った素敵な言葉、心動かされた言葉あるいは事柄について書いています。そんな言葉に出会った時、凡庸な日常が一瞬輝きます。ああ、私は言葉に生かされてい… もっと読む
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2021年9月の記事一覧

若き日の思い出(その4)ー子供を教育するということ

娘達は、”three sisters” 「(姓)sisters」などと呼ばれていた。それは同じ先生が、2年おきに3姉妹を教えるから先生達の間ではよく知られていたからだろう。 長女は2人のロールモデルだった。3人ともほとんど同じような課程を選択した。学校のconference 面談でよく、先生から「おたくの娘さん達は本当によくできた子ですね。どうやったらあんなにいい子に育てられるのですか。是非教えて欲しい🤪」なんて言われた。 そうなのだ。先生にそう言わせるくらい、とにかく外

若き日の思い出(その3)ーアメリカンスクールに入るまで

日本に帰国するにあたって、1番の問題は娘達の教育。一度こんな楽しい学校生活を体験してしまったら、日本の学校に入れるのは本当にしのびなかった。私の知っているあの寒々とした無機質な教室の風景がよみがえる。やっぱりいやだ。取り敢えずアメリカンスクール(正しくは、ASIJ, American School in Japan)に入学手続きをしよう。それも絶対3人一緒じゃなきゃダメだ。取り敢えず1年間位ならなんとかなるんじゃないか(でも内心は真っ暗。展望は全くなかった) 我が家は、ごく

若き日の思い出(その2)ーインターナショナルスクールを選ぶ

<若き日の思い出(その1)の続編です> ボルネオ島で5年余りを過ごし、一家5人クアラルンプールに転居することになった。そこで更に5年間過ごすことになる。 クアラルンプールに引っ越す前、愕然とすることがあった。3人の娘達は、私が秘書として働いていたこともあって、現地のnursery (保育園)に預けていた。マレーシアは多民族国家である。当然nurseryもマレー系、中国系、インド系、その他の部族の子女が預けられている。保母さん達も同様に多民族からなる。だから日常の言語は、英