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大きな悲しみへの対処法

今日、いま、8月13日(火)12時30分くらい
気づいたことがあった。

いにしえの太古から変わらず
基本的な人間の動作として、
なにか目の前に自分に向かってきた物体があれば
その質や量や状態を推定で測定し、対処をするんだけど、

一気にこの悲しみがくると死ぬと分かったときに、
少しずつそれを受けることを選択する人もいるのではないだろうか。

なんとなく、過去の自分がそうしたんだな、ということが、今日わかった。
なぜなら、その分割払いを、払い終わったことが、自分に知らされた気がしたから。

(補足 すごく比喩で、文学的な書き方なのかもしれないけど、正確に誠実に出来事を書きたいと思っていて、最大限に頑張って、こういう表現が一番正確だと思ったからこう書きます。もし筆力を鍛えて、表現力が変わったりしたら、違う書き方も出来るのかもしれない。)

徐々に、受けられる悲しみの量を増やしたり減らしたりしながら
受ける身体のほうも強くしながら
噛みしめて、かみ砕いて、受け流して、吸収して排泄して、汚れて浄化して

おそらくは、毎日、あるいは一定期間内に、自分が浄化できる量が決まっている。
それ以上は、受け入れられない。
受け入れたら汚れて汚くなるか、壊れる、と、わたしの場合は、思ったんだと思う。

なぜなら、ピュアなものを守りたいと思って、それだけが願いだったから。

たぶんだけど、もしそういう256回くらいの分割払いになっていたんだとしたら、
今、なんとか、やりきったのではないだろうか。
よくがんばりました。

ここでは詳しく語らないけど
これは、
「虐め」の、後処理ということなんだと思う。

同じようなこと、頑張った人、きっといるよね。
今、頑張ってる人も、いると思う。
すごく、えらいと思う。
自分はこれはやらないと決めて、ただ生きてるだけで、ものすごく偉い。

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