『あまりにも平面的な私小説』

 ✳︎授業で提出したものを編集&若干変更等を加えたものです。

 画面上で肉体が揺れている。ベッドの上に投げ出された裸体。スマートフォンの上の出来事。イアホンを伝って彼女の声が耳に届く。現代的なエロスの構造。その構造は次の3つで成立する。開かれたヴァギナ、閉ざされた空間、隔離された僕。これが僕の唯一の性行為。空虚さと快楽を同時に引き受ける手立て。死の欲動と生の欲動は同時に僕の元に訪れる。しかし、決してニヒルなものではない。僕はニヒリズムに陥ったりはしない。だがもしかしたら既にその渦中なのかもしれない。或いはもっと酷い病なのかもしれない。
 言葉が押し寄せてくる。「最近の若者は現実とゲームの区別がついていない」「ゲーム脳」「最近の若者は奥手だ」「草食系男子」「オタク」「現実逃避だ」「犯罪者予備軍」「性欲の減退」「インポだ」「二次元のキャラクターの方がいいだって?」「病気」「現実が見えない」
 違う。違う。これらは全て間違っている。彼らは自分の尺度でしかものを見ることができないのだ。僕たちが僕たちの尺度でしか物を見ることができないのと同じように。彼らの最大の誤りは、僕たちが現実より非現実を志向していると勘違いしていることにある。実際の問題は、現実が現実性を失っているということにあるというのに。僕たちの現実は画面の中に収束される。全てはフラットだ。
 二十歳になる少し前の青年の話をしよう。ある給料日、彼の口座にはバイト代として3万円弱のお金が振り込まれていた。彼はある種の病に囚われていた。不安、焦燥、限界、欲望。病を治す方法は明確だった。彼はバイト代を持って夜の街へ出かける。そこで女を買う。女を買うだって? なんて誤りなのだろうか。彼は決して女を買ったわけではない。彼が買ったのは、その行為と本質、つまりは体験を買ったのだ。女は彼を優しく導いた。彼女の肌はあまりにも滑らかで、それに触れるだけで官能的だった。彼は全てが初めてであることを正直に伝えた。女は微笑んで、彼にキスは無しの方がいいかと静かに尋ねた。彼は頷く。
 全てが始まる。
 ベッドの上に投げ出された裸体。開かれたヴァギナ。動きながら、彼は気づいてしまったのだった。作り物の声。彼女はこんなに感じていない。イアホンを伝って彼女の声が耳に届く。
 ベッドの上に投げ出された裸体。閉ざされた空間。彼はいつの間にか平面の世界に閉じ込められている。感じながら、彼は現実が恐ろしいほどに非現実的であることに気づいてしまったのだ。
 ベッドの上に投げ出された裸体。隔離された僕。なぜ僕は三人称で語ることができたのか。現代的なエロスの構造。気がつけば僕はその網に捕まっている。画面上で肉体が揺れている。それは僕だ。
 やはり全てはフラットなのだ。
 僕の欲動は常に軌道を描いているが、それも結局は平面的な出来事なのである。全ては画面上に収束される。出口はない。
 画面上で肉体が揺れている。ベッドの上に投げ出された裸体。「女性を性的に消費するな」僕は画面を閉じて部屋から出る。外に出る。しかし、いずれまたこの部屋に戻ってくるだろう。その時にはまた全てが反復される。
 サドの登場人物が言う。「ウージェニー、それは自然の中に存在するものなんだからね」、残念ながら僕はウージェニーではない。僕の頭の中で村上春樹が肩をすくめて一言。「やれやれ」。
 やれやれ、僕はパソコンを閉じた。


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