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第四回阿波しらさぎ文学賞一次通過作品『言語的慣性ドリフト』幸村燕

  その時ようやく水門は開き始める。すると次第に水中に流れが生まれ…小説が形作られていく。
突然どこからか言葉がやってきて、ものすごい速さで僕の前を通り過ぎていった。水面ギリギリを飛んでいったその言葉の影響で、水の上には波紋が生まれ、やがてそれが波となった。飛んできた言葉に弾かれた僕の言葉は同じように速度を持ち、滑り出す。
 僕の言葉はどれだけ速く走れるのだろうか。
僕は言葉だけでどれほど遠くまで行けるのだろうか。
有限の時と有限の文字列の中で無限の生成と無際限な速さが形成されつつある。時は流れ、言葉は紡がれるだろう。

 前に働いていた居酒屋が何の連絡もないままに閉店してしまったために働き口を失った彼はウーバーイーツでフードデリバリーをして生計を立てなければならなかった。そのため、彼の家の近隣の人々は必要な道具を整えた彼が昼間に自慢のロードバイクに跨り、仕事に出かける姿を毎日のように目撃することができた。その日も、彼はいつも通りロードバイクに跨り、いつものスタンバイ地点へ向かった。
    ベテランのウーバーイーターの情報によると、お店から近い場所にいるウーバーイーターに依頼が届く仕組みとなっているため、エリアごとの最も注文の多いレストランの前でスタンバイするのが定石なのだそうだ。そして、そのエリアごとの最も注文の多いレストランというのは殆どの場合がマクドナルドである。そのため、マクドナルドの前には必然的に依頼を求めた腕利きのウーバーイーターたちの溜まり場が出来るのだ。
もちろん、彼も依頼を求めてウーバーイーター蠢くマクドナルド前でスタンバイするのであるが、彼の住んでいる千葉県は注文が少なく、さらに熟練のウーバーイーターたちの縄張りと化していたため、近所のマクドナルドは彼のスタンバイ位置には適さなかった。だが幸い彼の住んでいる住居は千葉県にありつつも東京に面しており、橋を渡った先はすぐ東京であったため、彼は毎度橋を渡り注文の多い東京へと繰り出していくのであった。
彼がスタンバイ位置に着いた頃には既に四人ほど先着のウーバーイーターがおり、彼は今日もあまり依頼をこなせないのではないかと不安になった。なぜなら、ウーバーイーターたちの収入は完全出来高制であり、依頼をこなした報酬のみが彼らの懐に入るからだ。
    彼が別の店でスタンバイするか悩んでいると、その場にいたウーバーイーターたちのなかで何故か彼の携帯にだけ通知音が鳴り、彼にマクドナルドの配達の依頼が入ったことを知らせた。先に待機していた他のウーバーイーターたちは少し不服そうだったが、全てはシステムが決めること。相互不干渉が彼らのルールであった。
    彼は携帯の画面をスクロールして注文内容を確認した。

受付番号:KG3F9
依頼人:基山みはる
お届け先:徳島中央公園
ご注文:フライドポテトLサイズ
 ・依頼主からの注意事項:鷲の門の前で待っています。赤いマフラーをした女です。

 公園での受け取りという特殊な条件に多少戸惑ったものの、まあそのようなこともあるのだろうと思い彼は店内に入った。そして店員から注文の品のフライドポテトLサイズを受け取った。しかし、普段この辺りを生活圏としない彼には表示された徳島中央公園が一体どのあたりにあるのかわからなかった。
 そんな彼にグーグルマップは「目的地まで六百七キロメートルです」と告げる。
 どうやら彼は東京都のマクドナルドから六百七キロメートル離れた徳島県徳島市の徳島中央公園に行かねばならないらしい。

 嗚呼…なんと鈍間で退屈な言葉たちなのだろうか…
これらの言葉たちは言語の重力に足を引きずられたまま、ただ弧を描くことしかできていない。表面的な横滑りが描く言語の渦巻きに、僕は一切興味などない。
僕は疾風の如く速い言葉が必要なのだ。それだけが、僕を言葉の門へと到達させる。
 結局のところ彼が東京から徳島までロードバイクでフライドポテトLサイズを届けるというだけの話に僕は一体あと何文字使えば良いのだろうか。こんなものを表現するにはたった一言言うだけで十分だ。
 そして彼は走り出す、と。
 今、言葉は投げ出された。

 僕は何度か飛び跳ねて、凝り固まった言葉たちを振い落とした。さあ、走ろう。
 彼は全速力で自転車を漕いだ。
 六百メートル先右に曲がります…
 二百メートル先…
 少しでもGPSの反応が悪かったり、曲がり角を一つ間違えたりするだけで二分遅い道に入ってしまいかねない…彼はGPSを信用しすぎずに地図を読みながら素早く、かつ正確な判断を下して猛スピードで突き進んでいく。もう何度県境を跨いだか彼にもわからない。いい加減足も疲れてきたがそれでも彼はペダルを漕ぐ足を一向に止めない。「頑健きわまる、疲れを知らぬ男である」とカフカが口を挟む。ああ、黙っててくれ。
 次第に自転車にもガタがきて、ギーコギーコと錆びた音を立て始めた。ギーコギーコ、ぎーこぎーこ、この音によって僕はブランコを漕ぐ音を連想した。ブランコは小学生の頃の僕が一番好きだった遊具だ。僕は小学生四年生の時に当時好きだった女の子とブランコの二人乗りをした淡い記憶を思い出した。座り漕ぎをしている一方と向かい合わせになるようにしてもう一方が立ち漕ぎをするやつだ。徳島中央公園にはブランコはあるだろうか。もしあれば是非、彼にもブランコに乗ってもらいたい。ぎーこぎーこ、揺れるブランコのイメージはやがて一定のテンポで揺れ続けるメトロノームに達した。
 右へ揺れ、左へ揺れ、一定のテンポを保つメトロノーム。
 右、左、右、左、右、左…
あれか、これか、あれかこれか、あっちかこっちか、彼か彼女か、彼か僕か、言葉か言語か、「ナゲットをご注文ですね。ソースはバーベキューかマスタードどちらをお選びになさいますか」注文カウンターの奥の方ではフライドポテトが揚げあがったことを知らせるテレレテレレという音が鳴り続けている。そして、また言葉はメトロノームの方へと戻っていき再びブランコにたどり着いた。
    ブランンンンコの思い出…重い出…と_いえ>ば<<<他にも
    突然、彼は坂道に差し掛かったわけでもないのに言葉が重くなっていくのを彼は感じた。ギアを変速したというわけでもないため、特にそれらしい理由は見当たらず、彼は只管にペダルを漕ぎ続けるしかなかった。その間、僕の意識は一つの言葉の上で右往左往しており、頭が上手く回転していなかった。
    そこで彼はようやく原因が僕の方にあると気づき、僕はタイピングする手を止めて、パソコンの横に置いた薬入れからアトモセチン[ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]八十ミリグラムとブロマゼパム[抗不安薬]二ミリグラムを飲んだ。そして薬が効いてくるまでの間、ベッドで仰向けになり天井を眺めることにした。僕は自分の言葉がどんどん遅く、鈍化していくことに焦りを感じていた。もっと速く、もっと強く、誰にも追いつかれないほど速い言葉が…今の僕には必要だった。
    文学とは速さだ。そして、小説はそれを加速させるモーターだ。あるいは、今の状況においてはペダルがそれに相当するのかもしれない。実際、小説というものは自転車の形をしている。
どんなに力強い文章も速さがなければ言葉にならない。言語は速さを伴うことでようやく己の重力から自由となって言葉になる。そして、それが力となる。
    だからこそ僕は小説という乗り物を用いて、走り続けなければならない。言葉の慣性が、言葉自身の重力や言語との摩擦、文字列の引力などから自由になれるように。
    そのためにも、絶対的な速さが必要だ。何にも縛られない絶対的な速さが。
    五百先左に曲がります…三百メートル先大きく左に曲がります…
    生成されてゆく道において、彼は僕の後ろについてくることしかできない。彼がいくら必死にロードバイクで通過しようとも、その道は既に僕によって踏破されているのだ。
    この文章を書きながら、僕の意識は常に既に徳島を周遊している。そして今、僕は僕の身体が夜の徳島中央公園の近くを歩いているのに気がついた。やがて鷲の門の前に通りかかり、僕の瞳は今は亡き徳島城を空見するだろう。そしてその瞬間に僕の意識は自分の部屋に再び押し戻されるはずだ。
不意に彼の携帯が鳴り始めた。着信だ。彼は一時的に自転車を止めて電話に出る。
「もしもし」――「もしもしウーバーイーツさんですか?」――「そうですけど」―(彼は戸惑いながらも)―「まだかかりそうですかね」―(戸惑いながらも不思議と)―「すみません、もう少し時間がかかりそうですね。急いではいるのですが」―(電話の女性に心を)―「そうなんですね。気をつけてきてください。私、好きなんです。東京のマクドナルドのフライドポテト」―(心を惹かれている自分に気づいた)―「そうなんですね」―(自分に気づいた)―「そういうのってないですか?なんかファストフードでもなんでも、ここのは違うな〜みたいな感覚っていうか」―(彼女-女には独特の音楽があった)(旋律と言っても良い)―「確かに、考えてみればフランス旅行した時に食べたマクドナルドは格別でした。今でも忘れられせん。あ、ちゃんと観光もしました。エッフェル塔とか」―(彼-男には平凡な愚直さがあった)―「東京のスカイツリーの下のソラマチのマクドナルドは格別ですよね」――「エッフェル塔のエレベーターはあの足の部分についていて」―(言葉は)―「お台場、楽しかったな。まだあの大きいガンダムはあるんですか?」―(言葉はすれ違う)―「凱旋門ってね…」―(言葉はゆるやかに浮き上がりながら、自らの重力によって降下し、またその浮力によって浮き上がる。
    電話が途切れた時、彼は再び自転車を漕ぎ徳島中央公園へ向かうだろう。そしてかつて徳島城の出入りを担っていた鷲の門の前で彼は基山みはるという女性と出会い、恋に落ちるだろう。彼らの言葉は時にすれ違い、また合わさり、そしてすぐにすれ違う儚いものだ。しかし、彼はそれらの言葉の持つ意味を愛し、彼女はその言葉が秘めた音楽を愛するのだろう。
しかし、果たして彼は徳島中央公園にたどり着くことができるのだろうか。
 陸路で徳島に行くということは、彼は神戸淡路鳴門自動車道を通っていくのであろうか。確かあそこは自動車しか通れなかったはずだが。どうすれば彼は渦潮が渦巻くあの鳴門海峡を超えることができるのだろうか。
正直、僕にとっては彼が徳島に着こうが着くまいが知ったことではない。
 だがおそらく、彼は徳島に着くだろう。これはカフカの小説ではないのだから。カフカの描いた「皇帝の使者」が伝言を届けるためには「決して抜け出ることのない王宮内奥の部屋」を抜け「果てしない階段」を下り「幾多の中庭」を横切りまた「第二の王宮」へと進まねばならなかったのに対し、僕の描いた「マクドナルドの使者」はポテトを届けるためにたった六百七キロメートルの距離を移動すればいいだけの話なのだから。なんら不条理なんてことはない。その距離が有限である限り、どのような言葉でさえもやがては目的地へとたどり着く。太宰はメロスを用いてそのことを簡潔に証明している。
   言葉を持ってして僕は言語に武装した。それが言葉の門へたどり着く最良の手段だと思っていたからだ。しかし本当にそうだったのだろうか。言葉の門は常に僕の前に開かれていたのだとしたら?僕の意識はだんだんと螺旋を描くようにして落ちていく。或いは渦を巻くように、と言えるかもしれない。あまりにも速さに差のあり過ぎる二つの潮流は時に渦潮を巻き起こす…
鳴門海峡の中心部には底百メートルほどの深さの本流があり、抵抗がなく速く流れる本流が両側の緩やかな流れの潮流を境界面で巻き込むために鳴門の渦潮は形成されるのだそうだ。僕の言葉は既に彼の言葉を巻き込み、巨大な渦を引き起こしていた。
   うすれいく意識を呼び戻すかのように彼は僕に呼びかける。
ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、僕ひとりのためのものだった。さあ…もう彼は行ってしまうだろう。鳴門海峡を越えて徳島へとたどり着いてしまうのだろう。もう僕が彼について語れることは何もなくなってしまった。水門は完全に開かれてしまったのだ。言葉は言語へと回帰しやがて文字列へと収束する。遠くから微かに自転車を漕ぐ音だけが聞こえる。
僕は文字を背にして、咥えたタバコに火をつけた。ただ、それだけの…

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