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年末年始の恐怖感との闘いに終止符を。

毎年、年末年始のふとした瞬間に恐怖感に苛まれることがある。

大みそかの静かな雰囲気や、お正月に親戚で集まって過ごすひと時は好きで、それなりに楽しんではいる。でも、時計の針がまっすぐ1本に重なる地点へじわじわと進んでいくのを眺めているとき、テレビの向こう側でアナウンサーが「新年あけましておめでとうございます。」と口にするとき、画面に着物やお節料理の華やかな色どりが映し出されたとき、私はいつも、なんだか怖くなる。喉がぎゅっと締め付けられて、鼻の奥がつーんとして、泣きそうになるほど怖くなる。自分だけが去年に取り残されているような気分になるからなのか、どんな1年になるのか見えない未来の不確かさを感じるからなのか、毎年毎年、正体不明の恐怖に押しつぶされそうになるのだ。1年の抱負を掲げてわくわくしている人々がまぶしい。私もわくわくしたいのに、やっぱり恐怖のほうが強い。どうしてみんなそんなに希望にあふれたような顔をしているの。永遠にあたたかくて安全な場所で丸くなっていたい。

毎年毎年こうなるのが嫌なので、今年はこの恐怖感の因数分解をしてみようと思う。

私が恐怖感と言っている感情に含まれるのは、焦燥感、不安・無力感、孤独感あたりだろうか。これから始まる1年、頑張りたいこと、やらなければならないことがたくさんあって、それらに早く取り組まなければ、という焦り。本当にこんな自分にできるのだろうか、という不安や無力感。実際に行動を起こさなければならないのは自分自身で誰も私の代わりにやってくれはしないのだという孤独感。もう一度まとめてみれば、つまるところ将来への不安なのかもしれない。ただ2022年が2023年に変わるだけで、いつもと変わらない1日が始まるだけなのだと頭ではわかっている。でも、やっぱり大きな区切りではある。私は2022年の1年間、ちゃんと前に進んできただろうか。これから始まる2023年の1年間、ちゃんと進んでいけるだろうか。焦りや不安や孤独が身体のどこかに巣くっていて、その存在を強烈に主張してくる。毎年毎年あの感情たちと闘わなければならない。
世の中から正月気分が消え日常が戻り、だんだん忙しくなってくると、いつの間にかどこかに行ってしまうのは知っている。1年というのが大きすぎるから怖いのかもしれない。日々が過ぎていくにつれ365日が364日になり、363日になり、だんだん1年が縮小していくのに比例して、恐怖もだんだん小さくなっていくのだとも言える。

1年と大きくとらえずに、とりあえず目の前の今やるべきことをやればいい。ありきたりだが、そう言い聞かせるのが、現時点で私が思いつく最善の処置だ。得たいの知れなかった恐怖も、因数分解して文字にしてしまえば大したことはないような気がしてきた。年末年始の恐怖感との闘いに終止符を。

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