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言葉を紡ぐ。

以前も少し書かせていただいた私の大好きなポッドキャスト番組,「本と学びと私の時間。」でパーソナリティのみきさんが「言葉の難しさとおもしろさ」について話されていた。私が以前から悩み考えていることと一致しているところが多くて,忘れないうちに書き残しておきたくて書きました。

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私は話すのがゆっくりだとよく言われる。
そのことで悩むことも多い。自分の頭の回転が遅いとか,言語化力が足りないとか,コミュニケーション能力が低いとか,相手をいらいらさせているのではないかとか。
自分に足りない部分を再確認して落ち込んだり,相手の感情を勝手に推測して不安になったりしてしまう。

私の話すスピードがゆっくりなのは,話す前に言葉を選んでしまうからだ。話している相手を傷つけないか,差別的な表現ではないか,自分の考えがそのままの形で伝わる言葉になっているか。言葉を発するたびにいちいちそんなことを考えてしまう。
それが一概に悪いこととは思わない。よく言われることだけれど,言葉は凶器になり得る。
言葉を扱うのは難しい。どんなに考えて言葉を発したとしても,誰もがいつでも加害者になる可能性がある。そして自分が傷つけた誰かから反撃を受けて自分が傷つくという負の連鎖に陥ったり,自分が相手を傷つけたという事実に気づいて自分を責めて傷つくことは日常茶飯事だ。特に不特定多数に言葉を届けられてしまうネット上では,いつどこで自分が加害者になるのか,被害者になるのかわからない。
だから,凶器にならないような言葉を選んでゆっくり話すことに,引け目を感じる必要はないのだと言い聞かせるようにしている。もし誰かを傷つけるような言葉を発してしまったとしても,その言葉が私の考えていることをまっすぐに表現し,相手に伝えられているのであれば,私は私の発言に責任を持つことができる。

ただ,ゆっくり話すのが悪いことではないと思ったところで,私はやっぱり話すことが苦手だ。私は自分が発した言葉によって誰かを傷つけることも,自分が傷つくことも,怖くて仕方がない。そのことに怯えて何も言えなくなったり,顔色を伺い続けたりしなければならないのはとても窮屈だ。
成長するにつれて,「禁句」が増えたように思う。大学に入っていろんな人に出会っていろんな考え方があることを知ってからは特に急増したと思う。
「こういう立場の人もいるのだから,そんな言葉を軽々しく使ってはいけない。」「配慮が足りない。」そんな考えに縛られて,余計に話すことに対する苦手意識が強まってしまっているのかもしれない。

私が話すときの脳内のイメージは,言葉の森の中をさまよっているような感覚だ。ああでもないこうでもないと言葉を探しながらさまよって,どうすれば誰も傷つけずにうまく伝わるのか悩んで,時には自分が何を言いたいのかもわからなくなって,森の中で迷子になってしまうこともある。

みきさんも,言葉を選びながらゆっくり話すとおっしゃっていた。ただ,みきさんは私とは違って,引き出しの中を探って言葉を選んで話している感覚だそうだ。私もそれぐらい頭の中を整理整頓して,楽しみながら言葉を選んで話せるようになりたい。みきさんの引き出しのイメージは,言葉の宝探しのような感覚なのかな,と想像した。
私には,みきさんが話されていた,「客観的な視点から自分の気持ちを伝えるようにする」練習が必要なのかも,と思う。私の森の中をさまよっているという感覚では,そもそも自分の気持ちを見失ってしまうことも多いし,客観的になり得ない。

私は言葉が好きだ。言葉は凶器にもなり得るけれど,とっても力強い味方にもなってくれる。
だから私は,楽しみながらうまく言葉を紡げる人になりたい。

p.s.
荒井祐樹さんの「まとまらない言葉を生きる」という本は,言葉をどう使うか,言葉とどう向き合うかについて深く考えるきっかけをくれます。私にとってはかなり難消化性の本で,読むのに時間がかかってまだ全部は読めていないのだけれど,じっくり考えながら少しずつ読み進めたいと思っている本のひとつです。気になった方は,ぜひ。

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