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《木曜会:3月14日》

木曜日、久しぶりに晴れた。ここ最近、木曜日は雨というイメージが記憶のなかで定着化していたが、やっとこさそのイメージから気分的に脱出できることとなった。

今週はヒゲの男にいろいろと変なことが起きた一週間であった。つまり、面倒くさくて誰もやりたがらないような肩の凝る仕事の依頼が幾つか入ってきたのだ。この場合、「誰もやりたがらない」は『短納期』を意味し、「肩の凝る」というのは『偉いさん』を意味する。

以上のことにより、酒を飲みたくて木曜日の到来が楽しみだった。

18時10分頃、コロマンサに行く。建付けの悪いガラス戸を開けると、テーブルの上に何やらわからぬ茶色の大判紙を広げた版画家の万作がいる。万作はこちらを一瞥するや、そそくさと茶色の大判紙を丸めてどこかにしまう。

なんとなく秘密めいた行為ではあるが、この万作の隠れキリシタン的な行為を伴う秘密には他の秘密とまったく異なるポイントがある。それは、まったくヒゲの男や冷泉、もしくは木曜会参加者の興味を引かないという点だ。

本当に隠したいものであれば、開店時間の間際までテーブルに広げておくのは不用心である。本当に見せたいものであれば「実はこれを見ていただきたい」と万作の側からシナジーを求めて歩み寄ってくるはずだ。

よって、隠したいけれど見せたい、見せたいけれど隠しておきたいの天秤がまだ万作本人の中で葛藤している状態なのだろうとヒゲの男は感じた。そんなことを思いながら先週ギターの弦が切れたので、ヒゲの男はギターの弦を張り出す。

「1本弦が切れただけやのに、全部取り換えるんですね」と万作。

「僕はそもそも弦を切らない弾き方なのに、先週切れてしまったということは、弦の寿命なんだと思うので」とヒゲの男はぎりぎりとペグを回して調弦しながら答える。店内にはまあまあの音量でショパンがかかっていたが、万作が気を利かせてCDの音量を下げてくれる。

トントントンと鳥のような足音で何者かが店の階段を上ってくる、扉が開いた先にいたのはファラオである。ニコリともしない。なで肩で色白のファラオを名乗るおっさんが鞄の中からもぞもぞとスナック菓子を取り出し、それを頭に筆を突き刺した柿坂万作と名乗るおっさんに手渡す。

どこにでもある店内持ち込みの光景だが―
その光景がヒゲの男はお菓子というツールを媒介にして、敬虔なる宣教師が外からの文明を拒む北センチネル島の原住民との接触を試みているように見え、無性に笑えてくる。ファラオは通過儀礼を終えたあと店の奥にいるヒゲの男の方へ神妙に向かってくる。

ニコリともせぬまま、白のタートルネックのファラオが。

しばらくすると冷泉が赤ら顔でやってくる。ヒゲの男は前日、インテックス大阪にて開催された『フードテック大阪』へ出席した際、おもしろいAIを開発した企業を知りそのことを話す。

「日本酒ソムリエAIなるもので、これは自分が飲んでるお酒をソムリエのように言語化してくれるのみならずディスプレイに可視化してくれるのですよ。これがもう楽しくてね」とヒゲの男は嬉々として話す。

「官能評価というのがおもしろいですね。日本酒の成分を可視化したところで何もおもしろくないですからね」と冷泉は物事の要点を突く。

しばらくすると、チョコレート好きのアナウンサーがやってくる。チョコレートが好き過ぎて自分でチョコレート品評会を開くほどの熱量なのだ。古今東西、いろいろなチョコレートを食べ歩いてきただろうが、彼女の中で一位に輝くチョコレートはロッテの『クランキー』だという。確かにうまい。間違いのない庶民派感覚にうっとりする。

ロッテ『クランキー』1974年発売

ちなみにヒゲの男は不二家の『ハートチョコレート』であるとアナウンサーに伝えたが、一晩改めて考えると森永製菓の『ぬ~ぼ~』であると思い直したので、ここで訂正とお詫びをしておきたい。

森永製菓『ぬ~ぼ~』1988年発売

当時、駄菓子で50円と強気の価格設定ではあったが、他の駄菓子を凌駕せしめるほどのおいしさであった。やはり、幼い頃に経験した鮮烈な味の記憶は忘れることがない。もう二度と同じものを食べても、同じ感動が起きないことは知りながらも、大人になってからもついつい駄菓子屋へ足を運んでしまうのは、自我が芽生えた頃の自分と今の自分が一致していることを確かめるためかも知れない。

CMは、田代まさし。

―半年前、田代さんと話しをした。その時ヒゲの男は「ぬ~ぼ~」のことなど忘れており、社会復帰した田代まさしが監督した極道ものVシネマ『鯨道シリーズ』について訊きたかった。なぜ、シリーズの途中から監督を降板することになったのか。

サングラスにヒゲのおじさんはボソボソと喋りだす。隣ではデザイナーの浦部君が興味深々で耳を傾けていた。

「僕、ダジャレが好きなんですよ。それで、どうしてもダジャレを映画に散りばめたくて、でも、それだとヤクザのイメージに合わないって怒られて」

当時のことを思い返しながらなのであろう、その朴訥とした話し方も相まって、ヒゲの男は腹を抱えて笑ってしまった。そして、さすがだなとその笑いは彼への敬愛へと変化した。

話しは木曜会に戻る――

次に、看護師お休み中の女がやってくる。冷泉とは中学生時代の馴染みだそうで、彼が主催するトレーニングジムにも決まって日曜日には参加しているのだとのこと。彼女は黒髪になっていた。

前回、木曜会に来たときには金髪であり、前々回は黒髪だった。前々回、心理カウンセラーの女から「髪の色を変えてみたら」とアドバイスをもらい、すぐに茶色にしたという素直さには驚いた。

「髪の色を変えることで、ある程度、得られたものがあった」という。彼女は真剣になれば真剣になるほど、よくわからないことを言うのだが、それこそが彼女の魅力であろうとも感じる。

地球を滅ぼす爆弾があると仮定する。爆発を解除するために赤の線、青の線のどちらを切るのか選択を迫られる。彼女は自分に課せられた一大事に泣きながら、恨みながら、どちらの線も切ってしまう豪胆さを見せるだろう。

「2つとも切るバカがあるか、この野郎」と死にゆく人類からの阿鼻叫喚に対して彼女はこう言う「ある程度、得られたものがあった」と。

ヒゲの男がそんな想像をしてニタニタしているとチョコレート女が看護師お休み女に「冷泉さんって子供の頃はどうだったのか」と質問する。

「今のままですよ」という返答を彼女がする前に、実は質問者もその場にいた人間たちも皆が「おおよそ、今のままなんだろう」ということを共通して感じていたように思う。

冷泉は自身の子供の頃を思い出しながら、俳人のように語る。

「腕を、嚙みつかれたり、してました」これには一同が爆笑してしまった。

そして、ハスラー明神がやってくる。今回の木曜会は『AIやDX』について深く話そうという冷泉のコンセプトがあり、このハスラー明神もDXやそれに伴う助成金のノウハウなどを知る専門家であったが、そんなことよりビリヤードについての底が見えないほど深い話しをしてくれとヒゲの男を含めた一同は聞く態勢に入る。

彼は中学生でビリヤードを知り、高校生で尊敬すべき師を見つけ、そこから今ではあくまで趣味の範囲ではあるが、ビリヤードに関するさまざまなイベントに携わっているというではないか。これは絶対にビリヤードの話しを聞かなくては損をする。70万円もするマイキューを持つ友人などヒゲの男には一人もいない。

―流れ者のように知らない土地で腕試しすることとかあるのですか?—

恐る恐るヒゲの男はハスラー明神に訊く。ヒゲの男はこの「流れ者」という言葉が大好きだ、来世があったとしたら迷わず流れ者になりたいと心の底から願っている。流れ者、終着のない列車、個人個人で違う言語を喋る世界、色の違う太陽が4つくらいのぼる汚れなき朝。

ハスラー明神は慎重に言葉を選びながら「ありますよ」と答える。格好良い。「最近では、嫁の出産のタイミングで嫁の実家がある南信州に行ったとき、そのエリアに一軒しかないビリヤード場に行きましたよ」とハスラーは教えてくれる。

マイキューを南信州に持って来る客など一般的ではない。ローカルな店に集う男たちの視線が見慣れぬハスラーに突き刺さる。ハスラーは男たちのその視線を楽しみながら、孤独にキューで球を突き続ける。コトッ、コトッと球が落ちる音が手に取るように想像できる。

店のオーナーがハスラーに声を掛け、いつしか地元の名人とのマッチアップが組まれることとなったそうだが、5戦5勝したのだそうだ。自身の体験を辿りながら我々に様子を語るハスラーの顔は、誰よりも輝いていた。

いつの間にか来ていた、映像ディレクターのタケちゃんが「オレもそういう話しがしたかった」とハスラーの話しを受けて悔しそうに言う。

悔しいには理由がある。タケちゃんは『ストリートファイターⅢ』という格闘ゲームが好きで、ハスラーと同じように自分の腕試しのため知らない土地のゲーセンへ行き、地方で負け知らずとなり伝説の男になろうと画策したことがあったが、遠征はしたもののとにかく負け続けたため、彼が望んだであろう伝説ではなく、黒歴史となってしまったのだそうだ。

タケちゃんの黒歴史の話しを聞いて、冷泉が唐突に「ハッ」とした顔をする。ハスラーからタケちゃんへと話しのタスキがわたるところを見て、何か思い出したのだろう。

「今日、僕、酔うと、顔が赤くなる日ですね」

冷泉はすぐさまヒゲの男の方へにじり寄ってきて、何かギターで演奏してくれと言う。場面転換なのか場つなぎなのか、その両方なのか何なのかわからないが冷泉は音楽を効果的に利用する。若い頃はマックス・カヴァレラに心酔していたというIT参謀は絶賛「酒と泪と男と女」を特訓中だ。

マックス・カヴァレラ:Wikipediaより引用

ヒゲの男は張ったばかりのギターをチューニングする。低い音の方からECDGABへとして、7番フレットにカポタストを篏合させる。

♪『(When I die) I shall go up to heaven like that bird 』

新調された弦はキラキラと光沢のある音を響かせる。弦を張り替えるのは面倒くさいが、張り替えたばかりの音は実に透明感がある。いつしか透明で弾んだ音も失われていくが、また面倒くさがりながら張れば良い。

木曜会はここから新たに製薬関係の男たちが5名ほどやってきて、ここがかつても今もクスリの町「道修町(どしょうまち)」ということを感じさせてくれたが、本ブログの文字も4,000字を超えてウンザリしてきたし、さらにはお腹も空いたので遺憾ながら木曜会の後半戦は割愛する。

次回の木曜会は3月21日です。是非ともお越しください。

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