《木曜会:3月21日》
暦の上でとっくに春は来ているのだが、どうにも寒い。今ちょうど西日本側を中心に桜が咲く時期だからこれを「寒の戻り」というのだろう。実にタフな一週間であった、新しいプロジェクトが幾つも立ち上がるのは光栄なことではあるが、どこまで自分が対応していけるのかについて明確な自信はない。今日の自分の仕事が明日の自分に繋がるとだけ唱えている。
19時頃、木曜会が開催されているコロマンサへ向かう。僧になった冷泉を軸にしてすでに数名が店内で杯を傾けていた。「今日は生成AIを語る日になるだろう」という事前の冷泉予報は見事に的中した。そういうメンバーだった。
そんなメンバーを横目にバイオリニストのアウシュ君は玄関前の席にて、ただひたすらスパゲティを食っていた。明日が世界の終わりだと言わんばかりにスパゲティを腹の中にぎゅうぎゅうに押し込んでいた。その光景は、モノクロで撮影すると良い被写体になるなとヒゲの男は勝手に妄想していた。
コロマンサの店内勢力図は3つに分かれることとなる。
いや、冷泉は生成AIグループではないのかと突っ込みを入れる人がいるかも知れない。実際、ヒゲの男も当初は冷泉は生成AIグループだと考えていたのだが、ある瞬間にその理解は一変した。酩酊した冷泉が布袋寅泰の『スリル』を歌っていた瞬間のことだ。
Baby Baby Baby Baby Baby Baby Baby
俺のすべては お前のものさ
Baby Baby Baby Baby Baby Baby Baby
夢のかなたへ 連れ去ってくれ ♪
熱唱する冷泉の声の狭間と狭間でAI生成グループのそれより熱量の高い会話が聞こえてくる。
夢のかなたへ~ (いや、ChatGPTのプロンプト化は・・・)
お前のものさ~ (生成AIでできることって・・・)
『スリル』のギターを弾きながらヒゲの男はこの珍妙な光景が面白くてたまらない。この瞬間、ああ、冷泉はどこにも属さない独立勢力だったのかと確信した。自分主催の会なのに、2つのグループに挟まれてそのどこにも属さず、オルガン横の席に1人で座っている冷泉の姿はライオンのようで格好良かった。
ファラオは今日も新しいゲームを持ってきていたが、仕掛けだけが大仰で中身の薄いゲームだったため、すぐに飽きた。ヒゲの男は木曜会参加者に向けて、現在進行形で面倒な仕事を押し付けられているのだと説明を始める。
概要はこうだ――。
とある大企業において社員研修が行われている。その研修のためにコンサルとして入ってきているかっこいい老人がいる。老人は前時代的なやり方で演出面についてあれやこれやと無茶を言い続けるので、困り果てた担当者からヒゲの男に助けてくれと連絡が入ったのだ。
※前日譚はこちらを参照
ヒゲの男は逃げ回っていたが、気が付けば主担当になってしまった。とにかく老人先生は面倒くさい。大きなスクリーンを用意しろ、輝度の優れたプロジェクターを用意しろなどは朝飯前で、とにかく恥ずかしげもなくやたらと社会的ステータスにこだわり、その場のヒエラルキーに執着する姿にはおぞましさを感じた。
こうした人間に共通する支配的レトリックは、他者を貶めることで自身を偉そうに見せるという部分だ。出生数が多い時代に生まれた人間は、周囲に同世代の人間が多いため何らかの武器を持とうとして、他人すら道具として使用することへの良心の呵責が生まれにくい。
先生「このスクリーンは良くないね、どこのスクリーンを使ってるのかね」
ヒゲ「メーカーは知りませんが、問題ないのではと考えます」
先生「トモエガワ製作所のスクリーンにしなさいよ、あそこのは良品だよ」
ヒゲ「日の出製麺所のスクリーンですか、知りませんがすぐ用意します」
先生「トモエガワ製作所だよ!キミはプロなのに聞いたことないのかね」
この「プロなのに」というのは完全に責任転嫁である。スクリーンを交換するには新たな費用がかかるが、湯水の如く予算を使うことになってそれでも良いのかと老人先生に問うと「そんなことはアンタたちプロが考えろよ」と結論を言わないまま逆ギレされた。
制作スタッフ一同は、このトンチンカンなやり取りを聞き、笑いをかみ殺しながらその場を耐えていた。ヒゲの男はホントに性根が悪い。ちなみに日の出製麺所は香川県にあるうどん屋である。
意気揚々の先生のご乱心はまだまだ続く。
研修リハーサルの最中、見たこともない知らされてもいない女が会議室へやってくる。見た目は40代くらいの細身の女で、先生と懇意のようだということは容易に見てとれた。どうやら研修本番の司会進行役として東京から呼ばれたとのこと。
「マユちゃん、アレやってみてよ」
「ええ、ここでですか」
「皆のためになるんだから、やりゃあいいんだよ」
「では・・・」
2人の会話は我々には何を示しているのか全くわからない。細身の女はマイクを手に取り、緩やかだかよく通る声でこれから何をするのか説明する。
「先生からのご要望を受けまして、急遽ではありますが、これよりマインドセラピーの講習をさせていただきます。皆さん、肩幅まで足を広げて静かに目を閉じてください。ゆっくりと息を鼻から吸い込んで、口から吐いてください。はい、鼻から吐いてしまっても構いませんよ。それでは、これまであなたが一番気持ちよかったことを思い出してください」
・・・これは何ですか。
ヒゲの男は、笑いが堪えられなくなり一旦、会場の外に出てゲラゲラ笑う。笑い終わった後、なんだか全てがアホらしくなり、さらに数分後にはこんな狂気沙汰に巻き込まれたことにだんだん腹が立ってきた。まだこの手の寄生虫が駆除されずに残っているのかとガッカリもした。
自然、永平寺の宮崎禅師の言葉が頭をよぎった。
「それは――。良くないですね」と大学生起業家のヤスがいう。その通りだとヒゲの男の話しを聞いていたコロマンサ一同が納得する。その後、冷泉がならではの解決法を提案してくれたが、ここに書けるようなことではないので割愛する。
最も注意をしなければいけないのは、この老人を満足させるための制作をしてはいけないということだ。研修の本質的な目標は研修者にとって有意義であることである。それを老人の乱心に惑わされて焦点がズレてしまうと、本末転倒になってしまう。
長渕剛からそれを教えてもらった。
AIやChat GPTに求めるのは、こうした老人先生のような人の話し相手になってあげて欲しいということだ。ずーっと会話を続けてあげられるようになって欲しい。それが苦にならないことこそ、生成AIの強みだと感じる。
とにもかくにも木曜会は盛況であった。一つの事象に対して多角的な視点があり、それぞれに意見をくれる場があるのはとてもありがたい。
ヒゲの男はホントに誰がこれを望んでいるのかわからなくなった。なので、木曜会の前にこの大企業の創業者の家に行ってきた。閑静な住宅街の中にあり今では小学校になっている。小学校の周りを歩きながら、創業者ならばこの状況をどう考えるだろうと思考を辿ることにした。
なんとなく納得のいく答えが出た。
最寄り駅にあった会津屋(たこ焼き)へ入り、たこ焼きをついばむ。このたこ焼き屋は名著『美味しんぼ』に登場する店であり、値段は強気だ。
「創業者の屋敷は大豪邸であったと何かの記事で書かれていたけれど、そんな感じは微塵もなかった。周囲と調和するような佇まいがあり、そこに人間本来の品の良さを感じる」とヒゲの男は改めて自分の歩いた道をGoogleマップで確認する。そして一つの真実に気づく。
小学校を間違っていた。
次の木曜会は3月28日です。是非、ご参加ください。
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