推すということ



以前、「あなたにとって推しとは?」と尋ねたことがある。



想像していたよりも沢山の方が答えてくださって驚いたと同時に、その答えが本当に十人十色で、且つそれぞれにその人にしか抱けない想いが込められていてひどく感動した。聞くだけ聞いて自分は答えを出さないのもズルいよなとずっと考えてはいたのだが、初めてできた"推し"と呼べる存在がアイドルを卒業する今、ようやく少し自分なりの答えが見えてきたので文字にしてみようと思う。



はじめに


ちなみに「推し」という言葉を検索すると、以下のように書かれている。

他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。

なるほど、文字通り、と言った感じだ。



先に言っておくと、私はかなり面倒臭い人間である。


これはきっとこれまでも何度か言っていたし、仲の良いオタクはそれこそ耳にタコができるくらい聞いたかもしれないが、"推し"という言葉について考えれば考えるほど、私の中で彼女は「推しではない」という結論に至ってしまっていた。(便宜上「推しメン」という言葉を使ったことは何度もあるが。)

それは、これまで"推し"という言葉に対して、「グループの中で一番好きな人」、もしくは言葉の意味通り「他の人にすすめたい人」というイメージが強く、それに当てはめるとなると少し違和感を覚えていたからだ。以前投稿したこのnoteにも書いた通り、"恩人"という括りが大きすぎるのだと思う。

確かに「グループの中で一番好き」だし「すすめたいほど好き」ではあるが、それだけなら「好きなアイドル」止まりだったはず。私にとって飛鳥ちゃんは、そういう次元を超えた唯一無二の特別な人だった。


それでも先程「"推し"と呼べる存在」と書いたのは、自分の中で"推し"の定義がようやく固まってきたからかもしれない。



推すということ


※ これは私にとっての"推し"であって、皆さんの"推し"を否定するわけではないので悪しからず。何なら全ての文章の頭に「個人的には」、もしくは文末に「知らんけど」を付けて読んでくださいね。



◇◇◇


推すというのは勇気がいることだと思う。



少し離れたところから見て、可愛いと思ったら可愛いと言い、好きだと思ったら好きだと言う。そうやってフラットに傍観している方が、ずっと楽しくてしあわせなのかもしれない。


もちろん、推しが人生に色を付けてくれる存在というのは大前提の話。

ただ、それだけじゃ済まないのが私の場合で・・・


ライブに行くと、その人ばかり目で追ってしまう。いつも以上にキラキラして見えるその人に心ごと奪われて、大袈裟じゃなく明日も生きる希望をもらえる。だからライブに行くのだが、時には巨大感情が邪魔をして、盛り上がる曲なのに涙が出ることがある。帰りたいと思うほど心に突き刺さってしまうことがある。

握手会やミーグリでお話すると、その優しさに触れて、自分だけに向けてくれる笑顔にキュンとして、向こう一ヶ月は浸れる程のしあわせをもらえる。そのために頭を悩ませるのだ。日が近づくにつれて何度も何度も。どういう話をすれば、どういう言葉選びをすれば、彼女を傷つけることなく自分の想いを伝えることができるだろうかと。そもそも、これは伝えない方がいいのかもしれないと、封印した話題もいくつもある。

その人の出るメディアを都度チェックして、「可愛い」とただ盛り上がって、時折見せる表情に苦しくなって、雑誌に載ればその言葉を追って、インタビューで漏らした言葉が引っかかって、好きを募らせることもあれば、眠れない夜を過ごすこともある。



少し感情移入しすぎている自覚はある。

それはきっと、彼女たちを「アイドルとして」というよりはむしろ「一人の人間として」見てしまっているからだと思う。


アイドルにほぼ全くと言っていいほど興味がなかった私がアイドルに惹かれるようになったのは、たまたま目にした齋藤飛鳥の人間性に惹かれたからで。彼女が属していたのがたまたま「乃木坂46」だったというだけの話。

ただ、時に日本一のアイドルグループと謳われ、キラキラして見える環境に身を置く彼女たちの、人間臭さにハッとさせられたのだ。アイドルも一人の人間なのだと。常に人に見られることが当たり前で(ステージ上やテレビに映る姿は勿論、時には裏側も)、そのためにキャラを模索したり、自分を偽ることも"仕事"になり得るアイドルという職で、「乃木坂に入って"人間になれた"」と話すメンバーが後を絶たないグループである。きっと初めて出会ったのが乃木坂じゃなかったら、ここまでアイドルに惹かれてはいないだろう。


もしかしたら今も、アイドルが好きかと聞かれればそうではないのかもしれない。


白石さんがグループ卒業後のラジオで話していて、とても印象に残っている言葉がある。

「このお仕事すごい楽しいし頑張りたいなって思ってるけど、アイドルになりたくて入ったっていう訳ではなかったから、気持ちは普通の29歳の女の子のまんま、ずっと。だからすごい不安になった。卒業して乃木坂って看板が取れて、私は一人で歩いていけるのかなみたいな。」
TOKYO SPEAKEASY (2022年6月13日)


みんな普通の女の子なのだ。

私はアイドルっぽくないと話す子も、アイドルが天職に見える子もみんな。だからその子を見る時、どうしてもその後ろにその子の人生を見てしまう。そしてそれは、好きであればあるほど。理由なんて言うまでもない。だって、好きな人の人生は、しあわせであってほしい。


ミーグリやサイン会に行く、ライブや舞台に足を運ぶ、グッズをたくさん買う、テレビやラジオを欠かさず見る、雑誌のアンケートを書く。応援の形は人それぞれあるだろうけど、少し大袈裟に言うと、その子を応援するということは、少なからずその子の人生に触れるということで。これまた大袈裟に言うと、「好き」と「推し」の違いはその覚悟を持てるかどうかだと思うのだ。


そう考えると、中途半端な気持ちで「推し」だなんて言えなくなるわけで。




もう一度言うが、推すというのは勇気がいることだと思う。
生活の、人生の、心の一部をその人に支配されてしまうから。


あの子が今どこを見て、何を思っているのか。
あの子にとってのしあわせが何で、果たして今はどうなのか。
答えの見つからない問いに悶々として、考えすぎて病むことだってザラにある。




それでも、そんなふうにその人のことを考えている時間がしあわせだと思う。


そういう人が"推し"なのだろうと思う。


◇◇◇



おわりに



本音を言えば、何をそんな複雑に考えてるんだと、もっと気楽に「可愛い!好き!」じゃダメなのかと思うことはある。だけど仕方ないのだ、そういう視点でアイドルに惹かれてしまったのだから。

私が私である限り、ずっとこうなのだろうなと思う。


これに関してはきっと本当に正解はないし、オタクの数だけ"推し"の定義があると思うと面白い。冒頭の「あなたにとって推しとは?」の問い、まだ募集してるので暇で暇で仕方なかったら聞かせてください。私が喜びます。

長々と重い文章を書いたけど、結局アイドルを追いかける一番の理由は「楽しいから」なんですよね。アイドルとして輝く彼女たちの姿が、毎日を華やかにしてくれる。幸せ者ですよオタクは。


だから今日も願うのだ、

推しがしあわせでありますようにと。












とまあ、以上が私にとっての"推し"の定義なのだが、一つ困ったことがある。(以下余談)


飛鳥ちゃんに関しては、推す/推さないなどと考える余地もなく、気づいた時にはもう既に特別な人(ここで言う"推し")だったので、私の中で"推し"といえば、彼女に対する熱量がそれに当たる。今頭を悩ませているのはまさにこれで。ここでもまた私の面倒臭い人格が顔を覗かせるのだが、まあつまり、今後そういう人と出会った時、生半可な気持ちで"推し"と呼ぶのは、双方に失礼だということだ。「推しは作るものではない」というのはよく聞く言葉で、実際飛鳥ちゃんと出会った時はそうだった。雷に打たれたような衝撃、とでも言うのだろうか。しかし、長年いわゆる"単推し"を極めているうちに、いくつもいくつも避雷針を作ってしまっていたみたい。たとえ惹かれる子がいても、「推しと呼んでいいのだろうか」とウジウジしているうちに、推してもいないのに巨大感情だけを募らせているのが今の私で、一言で言うなら多分馬鹿。そんなこんなで、これまで飛鳥ちゃん以外で「○○推しやろ?」と言われても「いや」と口を濁してきたのだが、私が"推し"という言葉を使い始めたらそういうことなので、やっと勇気が出たんだなと、その時は温かく見守ってやってください。


ちなみにこの話を聞かされた仲の良いオタクは、「めんどくさw」とレモンサワーで流し込んでいた。ありがたいですね。「私本当に面倒臭いオタクなんですけど、」と話を切り出すと「知ってる」と言われ、それでもこの面倒臭さに延々と付き合ってくれるオタクがいること。激重感情を共有し合えるオタクがいること。何度でも言うけど、ほんと出会いに恵まれたなと。結局いつものオチに落ち着いたのでこの辺で締めようと思います。余談読んでくれた人いるのかな。ありがとうございます。全員好きです。良い夢見てね。


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