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お漬物とひとりごと

食事制限をして二日目。

離乳食モードになって二日目笑。

茹でた野菜や冷凍できるようにとペースト状にしたお芋ばかりなので、早速噛みたい欲が出てきた。

噛むと満腹感が得られる。
そして脳がスッキリするというか、ストレス発散した感じになるから、噛むもの、噛むもの、と心で唱えながらスーパーの店内を歩いた。


歩き始めてすぐに目がいった「べったら漬け」

迷うことなく買い物かごへ投入。

白い砂糖をできる限り絶っているから、あの優しい甘さを思い出して、唾液がちょびっと出たような気がするw。


「やっぱり、こういうのが一番幸せよな〜♬」


帰宅後、早速お米を洗って、ご飯が炊けるのを待った。

ご飯が炊ける。

嬉しい、楽しみ、食べたいw。

炊きたての熱いご飯とお漬物。

最高の幸せ。

私は基本的に一汁一菜で全然いける。

なんなら一菜が「味付けのり」でも「のりたま」でもいける。

素朴な食卓ってどこかほっとする。


美味しい。

美味しい。

ああ、美味しい。


ほんのりとした甘さと、しっか硬い大根。

優しさの中のポリポリと熱々だけど柔らかなお米のギャップ調和が最高でしかない。


何口も何口も進む。


で、何気にふと、食品添加物について意識が向いてしまった。

量子力学や宇宙の法則では、意識を向けた情報は増幅して現実に現れると考えるので


「あー、意識向けてんなー」

「あー、創造しちゃうなー」

「でも向いちゃったものしょうがないしなー」


食品添加物への集合意識やそれ込みの世界が生まれることを許可した上で、少し頭の中の声を泳がせてみた。


長期保存できるように加えられた保存料や色味を保つための何とか料に塗れた大根。

本来なら、そんな保存料に塗れなくてもいいはずだけど、店頭に並ぶ以上は不可避よね。

店頭に並ぶ必要がなかったらもっと生き生きしたお漬物だったんだろうな。

可哀想な使われ方したのかな。

もしかして、最初から既に生き生きしてなかったのかな。

だからお漬けものになったのか。

いや、でも、そもそも店頭販売前提のお漬物に使われる大根って、やっぱりそんな元気のいいものじゃないよね。

昔、魚屋さんが魚料理によって鮮度が違う魚を使うと言っていたような気がするから、同じことか。

つまり、この大根ちゃんがそんなに元気じゃなかったんだったら、さらにその上精製された白いお砂糖が使われて、食品添加物も追加されて、こんなになっちゃった。


なんか、すごく、貧しい。


店頭には沢山並んでいたけど
その「沢山並んでいた事実」に乏しさを感じた


飽食の時代とか、日本は食べ物がありすぎて溢れているとか言われているけど、一つ一つを見ると、誤魔化されて何となくそれなりに整えられて、すごく、悲しい気がしてきて、口に運ぶペースが落ちていった。


でも、でも、でも。

そもそも何故店頭にハリボテに感じられるものが並び始めたか考えると「故意」でも「悪意」でもなく「好意」から始まったんだろうなと行きついた。

「誰かに対する思い」

そうすると、私が「誤魔化して」とか「ハリボテ」とか表現したものは「どうにかして本物に近いものを」という「努力」に変わった。


「そっか。」


単に視点ね。
私はちょっとhappyになって
2杯目のオカワリに立ったw

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