きっと完璧な恋文も遺書も一生完成することはないけれど、渡す予定の無い手紙を綴り続ける気色の悪い趣味


3月、13日の金曜日、日付が変わったばかりだった
不吉であるはずのその日
恋人ができた。



もし付き合えたら、いやそんなはずないな、ないよね、でも、好きだな
ずっとそう思っていた人から、付き合いたいと言われた。
お互い小さな声でぽとぽとと言葉を交わしているとき、かなり悪いわたしの耳はより一層小さな音量で放たれたその言葉をしっかりと拾った。
うれしくて泣きそうだった
いや、泣いていたかもしれない



周知のことだが、
4月からわたしは上京する予定だった
2月3日、彼に手紙を綴っていた
「誰にも言ってないから誰にも言わないでね。」から始まるその手紙は
「あなたのことを考える日々は楽しかった。出会えて良かった。どうかお元気で、大好き」
かなり簡潔にまとめるとこういう旨の内容だった



3月末、つまり先週、うっかり口を滑らせてその手紙の存在を知らせてしまった。
手紙と言っても実際には書いておらずスマホのメモにそれは鎮座している。だって清書して渡す予定は無かったのだから。



渡す予定の無い手紙を綴ってしまう癖(スマホのメモではなく実際に書く場合もある)は、わたしにとって自慰行為のようなものだと思う



その手紙を見せてと言われるのは自慰行為を見せてと言われるようなものだ。
生憎わたしにはそんな趣味はない。
しかしせがまれた。
言っておくが彼はとんでもなくかっこよくて可愛い。そんな彼から後ろから強く抱き締められながらのお願い攻撃に打ち勝てるわけがないのである。
つまりわたしはその自慰行為さながらの恋文を見せる他なかった。



彼は5回読んだと言った。(わたしが絶対に送らないと言ったために暗記したらしい)そして一言、「これ東京行かれた時に読んでたら相当辛かっただろうな」と言ってくれた。
彼はわたしが上京することを知っていてお付き合いをしてくれている



少し前の夜中、彼の仕事終わりに電話をしていた時のこと
「連れてって」とぼそっと言われ、
んー?と返すと「一緒に東京連れてって」と言われた。
仕事はわたしが上京するタイミングで辞めるらしい


コロナの影響で上京は不透明にも延びたけれど、遠距離恋愛の心の準備をしていたところだった




春って何となく、悲しい季節だと思っていた。


優しい風と優しい色彩に包まれているけれど
大抵春には良い思い出がない気がする
冬の終わりにその風のにおいを感じると、
なぜか毎年鼻の奥がツンとする。



電話を切ってから、
春のあたたかな朝の日差しが差し込むまで眠れなかった


昼下がりに起きて、
机に向かって手紙を綴ってみた
2月にせつない気持ちでメモに残した手紙とはちがう。
今度はほんとうに彼に渡す手紙だ



いつもは開けない窓から
春の優しい風が吹いて
便箋をゆらした。


ほんとうにわたしに春が来たんだな
なんてくさいことをおもった。

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