なにをみたかったのか。

 呑むズと山川冬樹君とJUBE君と大谷能生は自分たちの出番いっこ前でどちらも観れなかったのですがこちらもモニター越しに観ながら呑むズに関しては楽屋でいいかんじにできあがっている美川さんのいちいち面白いトークに耳をそば立てつつも、すでにライブは楽屋からはじまってるんだ!酒はガソリンだ!とかよくわからなくなるような、正当化が行われた、わたしがいたのは大部屋で人がいちばん多い楽屋だった。そんな中で前々回に書いたように父の弟からの電話を受けたわけだが、最初に異変に気がついて、声をかけてくれたのは吉田隆一さんだった。「大丈夫? 誰か亡くなったの?」と、言われたような気がする。たぶん、あの状況であのタイミングでなかったらもっと重いものがのしかかってしまったのだろう。

 かくして、わたしにとっての追悼の意味はすこし違ってきてしまう出来事がひらりと舞い降りてきたのでした。

 ステージからの長い廊下で父が死んだと大谷能生に告げ、半笑いで報告したら、妙に優しくしてくれて泣くタイミングを忘れた。神様という演出家がいるのだったら粋なことをするのだなあとぼんやりと思いながら、弔いを言い訳に酒を飲んだ。

 自分の作品は武満徹の『Air』と『Voice』をテーマにしたもので、なぜ、武満は声ではなく、フルートにこの曲を当てたのか。ということから着想し、バルトンサックスで吉田隆一さんに!と思いつき、川口隆夫さんと岩渕貞太君との共演を思いつき、桜井圭介さんから何か足らないと言われ、大橋可也さんにという思いつきで、えー無理ですよーとかいいつつ、それを想像したらそれでしかないかも知れないというようにだんだんと自分の中で作品のイメージができてきた。もともとは昔書いた原稿でいずれはやろうと思っていたことなのだが、その日が武満の命日だってこと、すっかり忘れていた。狙ったみたいで恥ずかしいけれど、ぜんぜん何にも考えていなかった。たまたまなのである。森下スタジオで通し稽古をして、ぜんいん違う方向に帰っていく。あの感じが良かった。はじめ、大橋さんには黒い服を着てもらおうと思っていたのだけれど、LEDのライトを当てた大橋さんの姿は目を見張る美しさだったので結果、ああなった。去年の『テンペスト』でダンサーズに振りをつけながら、誰よりも美しい立ち振る舞いをしていた。佐々木敦さんが感想で「大橋さんはシルエットというか軀のシェイプが優雅に殺気だっている。」という誠に明快な言葉で説明しきっている。気が狂ったように言葉を吐いていたが、受け止められていた。ダンサーの動きを考えるときに、舞踏ではないもの、ダンスではないものを、その場に置きたいと思った。即興演奏を自分がするときに自分の中で起きる不可思議な現象。それを外部化したい。演奏は演奏に忠実だから動きが疎かになるのだが、自分の中にだけスパークするあの激動をどうすれば伝えられるのかと考えた。べつに伝える必要などないのだが。

 音が落ちてくるイメージで、重力が狂う。いくつかの演出プランはあったが、ぜんぶはまだ試せなかったので次回に持ち越しか。3人のダンサーはそれぞれ、一対一で話す時間を意識的に作り、彼らの差異を際立てるように言葉を選んだ。違うものが同時にある、その場にあり得なかったものが立ちあらわれる。そういうものが、見たかったのだ。なにもしなくても、きっと成立するだろうというくらいキャスティングで得をしている。見えているものはまったく違う、触感と重さを、きっと感じられる。(続く)

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