春に書く日記はじめはだらだら書く

はーい。なんにも考えずに文章を書きます。

もう、どうだっていいのですよ。どうでもいいのです。春の愚鈍さに比べれば。愚鈍と饂飩は似ていますが違います。

ぼんやりと生きてきました。

いえね、言葉を連ねるめんどくささをどこか、言い訳にしておりました。

ことばことばことばことばことばことばを。

ことばになんかしたくはないよ、口に出したりしたくはなかったよ。

というのはなんだか逃げ腰で、狡い気がする。

まあ大人はあたりさわりのない言葉にすり替える技術がおありなのです。それを習得しなさい。ばかみたいに本音を吐いてはいけません。と、わけしりがおであなたは言うのです。

いろいろぐるぐるぐるぐる考えております。

考え、てるのか?

過程を書きます。

過程しか書きたくないのかなあ。

わたしはわたしの考え方がおかしいのではないか、と思いました。それを他人に講評してもらいました。すると、おかしくはないと、おおくの人に賛同をいただけました。めでたしめでたし。

めでたしめでたし、なのですが、どこかに、ゆらめくような気持ちがありました。なんでしょうか。常識的にはおかしいですが、それをふくめて、すくいあげられない自分のふがいなさを責める自分がいるのです。もう、これは病気だと思いますし、そんなふうに誰かを思う自分がよいだなんて思ってるのは自己陶酔にしか思えません。さあ、手を離しましょう。あなたもう、じゅうぶんぼろぼろじゃないの。って、わかっているのになぜ、自分から手を離さないの。離さないから、そのひとが新たにつかむはずの手を独占している。

手数はなかなかすくないものです。

たとえばこれはわかりやすい行為です。

わたしが、誰かの手を、離さなければこの関係はずっと続くのです。

離すと話すは似すぎていて困りますね。

さあ、あなたは独占されている自分に戸惑いますか? あなたの手を離さないのは相手も同じことなのです。あなたが離そうとゆるめたとき、握り返したのは誰でしたか。

無垢なるもの、なーんの損得勘定もなく、いっしんに、何も考えず、わたしに体を預けてくれる。そういうものとのふれあいをあなたは経験したことがおありでしょうか。

バスの夢を見ます。

そのバスはほんとうに行きたい場所の近くまで行くのです。でも、目的地の前には止まらないのです。いつも、通り過ぎたり、近くの駅で止まったり。わたしはそこから歩くのです。15分かけて目的地に着く前に目覚めます。止まった場所からそのさきのことは知らずに目覚めます。わたしはきっと、到着したくはないのです。完結した、完成された場所。へ、行くのが嫌なのです。答えをどこかで決定することが。

わたしの書くことは試行錯誤、錯乱、散々、散文、散歩。

ちるちるみちる。

桜の樹のしたで腐乱して、できあがってはいあがって、どこか、ここではないどこかへ、はい出でて、はいつくばっていようかなあとか春の夜は何やら怖い。夜道にぽっかりあらわれる、あかりのような桜の花。

ちれちれとちぢれてみても、頑丈に。

わたしのことばを無視しながら、一番聞いて欲しい声は聴いてくれてる。

それでいいかなと諦めきれる。

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