私は、◯◯◯のヴァイオリニストで在りたい 2 ~ 横山亜美の日本帰還
初回は、日本から遠く離れたイタリアで地道に活動を続けてきた姉 横山令奈について触れさせていただきました。
2回目の今回は、2012年1月に、日本に戻る決意をした私 横山亜美についてと、海外で何年にも渡って留学をした音楽家にとっていかに日本で活動するのが難しいかという体験のお話を始めていきたいと思います。
そもそも、私が日本に戻ってこようと思った経緯は、いくつかあります。箇条書きに起こすとこんな感じ。
1、母が亡くなる直前、自身の仕事を姉にではなく私に頼んできたから
2、後期高齢者になる直前の父と母方の祖母がいたから
3、この時点で姉は学校を卒業し、活動拠点は将来確実にイタリアだと思ったから
4、私はその当時まだ、ただの留学生だったから
順に説明していきます。
1は母が亡くなる数日前に、私と母が2人きりになったタイミングで頼んできたものでした。実はその母の頼んできた仕事があった日が、私がイタリアに帰る飛行機の出発日でもあったため、代わりに頼んでいいものかどうかはギリギリまで悩んでいたようです。
自身の体調の具合も鑑みて、行けそうなら自分が指導の仕事へ行きたいと思っていたようです(その時点でどう考えても無理だと思うものですが、母らしいなとも思えます)。この仕事は母が亡くなった後、実際に私が行きました。
2についてですが、父親の年齢に「?」となる方もおられるでしょうね。
そもそも両親は歳が離れています。父 横山莞五(かんご)は昭和7年生まれ、母 清水玲子は昭和31年生まれで24歳違い。
父はヴァイオリンの指導者、母はその元弟子にあたり、ヴァイオリニストとして活躍をした方でした。(写真は30代当時の母)
で、父と母方の祖母は同い年なのですが(笑)母が旅立った時点で、父は79歳。誰の何の助けもなく、年老いた家族を置いて娘2人ともイタリアに帰るというのはそもそも難しい状況だと思っていました。
そして、3と4について。
これは当時の姉妹それぞれの状況の話になりますが、私にとっては非常に気になる点でした。
というのも、演奏家であり続けるというのは、
人前で演奏し続ける=活動が継続されている=知名度を上げ続ける、と、
人から忘れ去られないように、むしろ知ってもらうための活動を継続する、そのような努力が不可欠だからです。ましてや、異国の地で学びながら演奏家業を、ということなら、なおさらその地にとどまって動き続ける必要があります。
姉は、現在も一緒に演奏活動をしているピアニスト ディエゴ・マッカニョーラと、この当時からすでに活動を共にしておりました。
彼女の性格性質をよく知る妹の目線からすれば、イタリアか日本、どちらにいることが姉にとって良いか。姉が姉らしく、成長を続けられる場所はどちらか。明白でした。
そして、私の方は、その当時まだ、クレモナの音楽学校に在籍しているだけ。卒業試験を受ける以前の時でしたし、究極いつでもチャレンジはできる、休学した後、準備が万全の時に挑むことはできる=時間の猶予があるな、とそう思いました。
また、日本を離れる前に、実は何度かプロ演奏家がコンサートをしている場面に、高校生ながら奏者として同じ舞台に臨んだことがあります。
留学前の姉の状況と違い、早い段階で日本での本番を、それもプロと肩を並べて演奏する経験をさせてもらえたことにより、わずかながらでも日本の人脈ができていたこと、これも日本に残ろうと思う決意の後押しに繋がっていたと思います。そして、その本番も、母のおかげで肩を並べられたということもありました。
どのみち、横山姉妹、どちらかが日本に残らないとこの先、立ち行きがいかなくなる。
それなら、少しでも被害が少なく済む方を選ぶべきだ。
そう合理的に判断をした結果、私が残ると決めました。その決意に至るまでは、正直そう時間は要らなかったことを思い出します。
もちろん、姉はその際私に「亜美が残りたいなら日本に帰るよ」と話してくれていました。けれど、そこは強く私から申し出て、私が残ると伝えました。
私自身が留学を始めたのは2008年の10月ごろから。
そして母が去り、ひとまず学校を休学して日本に戻ってきた時が2012年の1月。この時点で海外生活すでに3年以上経っていたことになります。
たかが3年くらい、と思われるかもしれませんが、この3年でもアーティストにとっては致命的です。
これは私の感覚ですが、日々活動を行い、日々情報を発信し、お一人お一人に1アーティストの存在を知ってもらう、宣伝活動は時間と労力が大変必要なことで、そもそも知っていただいてないと演奏の依頼や、人前で弾くというチャンスすらつかめないんです。
先ほど姉について現地で動き続ける必要が、と書きましたが、これはそういうニュアンスも含めています。
ただ、姉に関しては「異国で日本人が」という前提での話であり、「日本で活動を行う」というのはまた違いがあると思います。
日本人が日本で動く、ハードルが低そうに聞こえますが、こちらならではの問題もあるのです。というのも、そもそもクラシック音楽(西洋音楽)が自国のものとして存在しない国です。外来のものを日本人が日本で披露し続ける活動とも言えるのではないでしょうか。
さて、次回はさらに、「海外で長きにわたって活動をした音楽家ほど、日本での活動がむずかしい」という点について、話を広げていこうと思います。
<余談>youtubeチャンネルでは過去にたくさんの多重録音動画を上げてきております。ちょっとした娯楽に楽しんでくださいね。