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しゃばぞう

社会人でいられなくなり、1年経ち、社会人にもどれた。

もし心身共に健康であれば、社会人でいられなかった1年は、素晴らしいものだったかもしれない。

その期間に会った人達には、羨ましいとよく言われた。

病気とは個人的なものだ。
同じ病名で診断されたひと同士でも、本当のところ、相手の苦しみはわからないだろう。

*

雨の日の植物はパニック状態にあるらしい。
当時のわたしは、それに似ていた。
考えがまとまらず、集中力がなく、小さな物事にこだわり、感情の起伏の激しさに振り回されていた。

これまでの数多の選択の結果が現在の自分だとすると、原因のよく分からない病状を、わたしは知らぬうちに選択してきていたのだろう。

*

社会復帰して、様々な能力の衰えを感じる。
加齢もありそうだけど。

生活のために、どうしてもしがみつかないといけない。
それはずっと変わらない。

綺麗さっぱり完治することなんて、あり得るだろうか。
こわばりがほぐされ、かわききった皮膚が潤いを得るときがくるだろうか。

自分や社会を巧く欺きながらやっていくしかない。
それもずっと変わらない。

*

とはいえ、随分よくなった。

恥ずかしがりの妻が、ひとりの時間に口ずさむ歌を。

600キロ離れた場所から送られてくるSlackのメッセージを。

下手くそなマンガを。

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noteに置いてある自分の投稿を読んだ。
ほとんど覚えていなかったけど、うえに書いたような混乱はわかった。

原因なんて、実はどうでもいいんだろう。
汚れたら掃除するだけだ。

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友達の口から、しゃばぞう、てワードが自然に出たことを、何かしらの形で残しておきたくてこれを書いた。

ご覧いただき、ありがとうございます。