ラヴェルの人気曲『ボレロ』は、三拍子で小太鼓が一定のリズムを刻み、テンポも変わらず進む音楽です。初演後に出版されてきましたデュラン社のスコアは、現在テンポはメトロノーム記号♩=72 として表記されています。
しかしこのテンポには紆余曲折があります。
ラヴェルがダンサーのイダ・ルビンシュタインの委嘱のもと作曲し彼女のバレエ団の演奏用に書いた自筆譜(1928年、アメリカ・ニューヨーク、モーガン図書館・博物館所蔵 ロバート・オウェン・レーマン・コレクション)には、具体的なテンポ指示はラヴェル自身は書き込んでいませんでしたが、後にラヴェルの楽譜編集者であったリュシアン・ガルバンによって Tempo di Bolero, moderato assai(ボレロのテンポ、モデラート・アッサイ)のテンポ指示とメトロノーム記号 ♩=76 が鉛筆書きされました。なおこのテンポ指示について、ラヴェルは「,(カンマ)」は要らないとガルバンへ手紙で伝えました(1929年9月24日付)。
米モーガン図書館・博物館所蔵 ラヴェル『ボレロ』の自筆譜 1928年7-10月作曲 (c) The Morgan Library & Museum The Robert Owen Lehman Collection [♩=76] デュラン社の出版譜は1929年10月初版スコアでは、ガルバンが自筆譜に記入したメトロノーム記号を受けたと推測されますが、♩=76 と表記されていました。
大英図書館に所蔵されているピアノ4手編曲版『ボレロ』の自筆譜(1929年?)も♩=76と記入されています。
大英図書館蔵 ラヴェル『ボレロ』の自筆譜 ピアノ4手編曲版 1929年? (c) The British Library [♩=76] しかし1930年1月第2版スコアになると♩=72 に修正されました。それ以降、出版譜には♩=72のテンポで記載され続けています。
現行版のラヴェル『ボレロ』のスコア [♩=72] しかしデュラン社が1931年に発行したラヴェルの作品の楽譜カタログの表紙に掲載された、『ボレロ』冒頭7小節のみ断片の自筆譜には、♩=66 と記入されています。
モーリス・ラヴェルの作品カタログ 1931年デュラン社発行 フランス国立図書館蔵 [♩=66] デュラン社の上記カタログ表紙にある 実際のラヴェル『ボレロ』の自筆譜 (冒頭7小節のみ) [♩=66] (この自筆譜は2023年11月に英クリスティーズのオークションにかけられ30000ポンド強で落札されました。)
さらにラヴェル自身が所有していたデュラン社の初版スコアには♩=76に打ち消し線を入れて66と記入しています。
ラヴェルが所有していた『ボレロ』初版スコア フランス国立図書館蔵 [♩=76を打ち消し♩=66] さらに1931年8月22日付のラヴェルから楽譜編集者ガルバンへの手紙にも、『ボレロ』は♩=66 と書いています。
[Maurice Ravel à Lucien Garban] Le Belvédère Montfort-l'Amaury (S. & O.) [Samedi] 22/8/31 Cher ami, ♩=66. vous aurez bientôt d'autre boulot: la 1 partie du Concerto à la gravure depuis le commencement du mois. Encore 2 morceaux, et la fuite. Affectueusement à tous Maurice Ravel
出典:Manuel Cornejo : "Maurice Ravel. L'intégrale - Correspondance (1895-1937) écrits et entretiens" Éd. Le Passeur, nº2377 ラヴェル自身『ボレロ』が指揮した録音(1930年1月)でもこの♩=66 という遅いテンポを尊重したものとなっています。 下の音源をお聴きください。演奏時間は16分を超えています。
モーリス・ラヴェル指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団 1930年1月録音、仏ポリドール音源
モーリス・ラヴェル指揮コンセール・ラムルー 『ボレロ』78rpm 仏ポリドール社製 12インチレコードの初回盤(サンプル非売品) 日本モーリス・ラヴェル友の会蔵 初回盤付属のラヴェル『ボレロ』の旋律断片 自筆譜ファクシミリのリーフレット 日本モーリス・ラヴェル友の会蔵 ♩(四分音符)のテンポが「72」から「66」に 「6」下がると、『ボレロ』では演奏時間は約1分20秒 長くなり、聴感的にもテンポがゆっくりになったと感じられる変化です。 ボレロは3拍子で340小節あり(最終小節は最後音の8分音符のあと2拍半の休符ですが音楽的休符で残響も残される想定でカウントに入れます)、インテンポとして計算しますと、ラヴェルが指示したテンポ♩=66 は、 340×3÷66=15.4545… 秒換算で15分27秒になります。
上のラヴェル指揮の音源で演奏時間は16分5秒であり、メトロノーム記号で換算しますと♩=63 になります。録音中にメトロノームと一緒に指揮することは現実的に無いことを考えれば、ラヴェルは『ボレロ』を感覚的にもとても遅いテンポで演奏するよう望んでいたことが伺い知れます。
ところで、『ボレロ』をアメリカ初演(ニューヨーク・フィル、1929年11月14日初演)したアルトゥーロ・トスカニーニはこの初版スコアを使っていたので、翌年1930年5月4日にパリ・オペラ座でトスカニーニの演奏をラヴェルが聴いて、あまりにも速いテンポに不満を伝えた「事件」がよく知られています。
アルトゥーロ・トスカニーニ (1867-1957) この「事件」については、フランスの協会、モーリス・ラヴェル友の会会長でラヴェルの専門家、マニュエル・コルネジョ氏がまとめている記事がありますので一部引用いたします。
「トスカニーニ事件」 1930年5月4日、パリ・オペラ座でニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の特別コンサートが行われました。このコンサートで、モーリス・ラヴェルはアルトゥーロ・トスカニーニが『ボレロ』をあまりにも速いテンポで指揮したことに不満を示し、トスカニーニと多少激しいやり取りをしました。ラヴェルはその翌々日、1930年5月6日付の手紙でエレーヌ・ジュルダン=モランジュに宛てた手紙で、次のようにユーモアを交えてこの出来事を振り返っています: 「舞台にお越しになっていたらよかったのに。そこには少しドラマティックな、かなり面白い出来事があった。私があの偉大な指揮者に『2倍の速さだ』と言ったことに人々は驚愕していたが、彼はさほど狼狽していなかったと思う。彼はこう言った。『ボレロは作曲者の意図したテンポでは効果がない』と。しかし、彼は本当に素晴らしい指揮者であり、そのオーケストラもまた素晴らしいものだった。」 ラヴェルは1930年9月9日にトスカニーニに手紙を書きました: 「親愛なる友よ、 最近、トスカニーニとラヴェルに関する問題について知りました。おそらくご存じなかったかもしれませんが、新聞ではこの問題が取り上げられたと聞いています。オペラ座で拍手を受けた際に私が起立しなかったのは、あなたが『ボレロ』の正確なテンポを取らなかったことに対し、私が罰を与えたとされています。私は、作曲家が自分の作品の演奏に関与しない場合、拍手を受けるべきではないと考えています。拍手は演奏家や作品、またはその両方に向けられるべきで、作曲家には向けられるべきではありません。残念ながら、私は見られやすい場所に座っていたため、私の行動が目立ってしまいました。しかし、私の意図が誤解されないように、あなたに向かって拍手し、感謝の意を示しました。しかし、悪意ある報道はしばしば真実よりも注目されます。これらの報道があなたの私への深い賞賛と友情を損なうことがないことを願っています。 モーリス・ラヴェル」 マルグリット・ロンの未公開の書面による証言によると、モーリス・ラヴェルは自分の手紙に対してトスカニーニから何の返答も得られなかったことに失望したといいます。事件の記憶は消えることなく、インタビューなどで繰り返し言及されました: 「『ボレロ』は、私が考えるように指揮されることは稀です。メンゲルベルクはテンポを過度に速くしたり遅くしたりします。トスカニーニは必要以上に速く指揮し、最後にテンポを落とすこともありますが、それはどこにも記されていません。『ボレロ』は、最初から最後まで一定のテンポで演奏されるべきで、アラブ・スペインのメロディーの哀調を帯びた単調なスタイルで演奏されるべきです。トスカニーニに自由過ぎる演奏だと指摘したところ、彼は『私の方法で演奏しなければ効果がない』と答えました。指揮者は自分の夢に浸りすぎて、作曲家が存在しないかのように振舞います。」 「ラヴェル邸を訪ねて」オランダ・テレグラフ紙、1931年5月31日付記事より トスカニーニとラヴェルの問題については、アルトゥール・ルービンシュタインやアレクサンドル・タンスマンなどの音楽家たちがそれぞれ異なる形で語っています。 作曲家の友人であるベルタ・ツッカーカンドルの証言も興味深いものです: 「私たちはラヴェルの家でお茶を楽しむのが好きでした。ある日、彼は非常に興奮した様子で私たちを迎えました。その理由は、トスカニーニがオペラ座でコンサートを行い、『ボレロ』を指揮したばかりで、その結果として口論が起こったからです。ラヴェルは舞台に上がり、トスカニーニが示されたテンポを無視していることを指摘しました。『このボレロは陽気なダンスではありません』『これはドラマティックなダンス、あるいはむしろドラマティックなシーンです。あなたは私の作品を歪めています』とラヴェルはトスカニーニに言いました。これに対し、トスカニーニは頑固に、『私は自分の解釈に合ったテンポを採ります』と応じました。『いいえ』とラヴェルは言いました。『私は、指揮者が作曲家によって示されたテンポを自由に変える権利を持っているとは認めません』と。ラヴェルはその後、舞台での指揮を真似ながら、自分の解釈とトスカニーニの解釈の違いを私たちに聞かせようとしました。彼は蓄音機をセットし、『これが私が作曲し指揮したものです』と言いました。『メロディーは暗く、不安を感じさせ、テンポは決して速くなりません。』その後ラヴェルはピアノの前に座り、『では、トスカニーニが用いたテンポで演奏してみましょう。このスペインのダンスをお楽しみください』『創造者と演奏家との間の対立は非常に深刻な問題です。私自身はこの点について譲りません。たとえそれがトスカニーニであろうとも』と述べました。」
出典:Manuel Cornejo : "Maurice Ravel. L'intégrale - Correspondance (1895-1937) écrits et entretiens" Éd. Le Passeur, nº2302, nº2332, nº2657 Berta Zuckerkandl : "Souvenirs sur Maurice Ravel" Revue d'Alger, 6, II. 1945 トスカニーニが指揮した初版スコアのテンポを守れば、♩=76 で 13分25秒 になり、ラヴェルが録音したテンポより 2分40秒 の開きができます。トスカニーニがパリで指揮した時、ラヴェルの2倍速だったという証言を考えれば、♩=76 よりさらに速いテンポで演奏したことも想像し得ます。 ちなみに後年1939年にトスカニーニとNBC響により残された『ボレロ』の放送録音を聴きますと、演奏時間は 14分05秒 で、これをメトロノーム記号に換算しますと♩=72 になります。
トスカニー二がテンポ指示が変わった♩=72 のスコアを使用したかは不明です(なおこの録音でもラヴェルが指摘したように、テンポが途中で遅くなる独特のルバートもあり、トスカニーニ独特の解釈が聴き取れます)。
なお2024年8月9日(金)より全国ロードショーとなる映画『ボレロ 永遠の旋律』には「終わらないリズム 陶酔の17分」というキャッチフレーズがありますが、演奏時間17分ではメトロノーム記号♩=60になります。1秒1拍のこのくらいの遅さだと確かにいつ終わるかわからない世界に舞い込まれそうですね!
ラヴェルの真意である、♩=66で演奏時間16分以上の『ボレロ』は、今でも聴かれているでしょうか…
(了)