私本義経 修練

愕然となる。
鬼一法眼。
確かに陰陽師。
だが並の陰陽師ではない。
暦、天文等に秀でておることはもちろん、兵法の大家とも聞いている。
特に中国の兵法書、武経七書の一つ、“六韜(りくとう)”に詳しいことで知られておるお方なのだ。
『韜』は剣や弓などを入れる袋を意味する言葉であり、それが六つである。
すなわち、

巻一に「文韜」「武韜」、

巻二に「龍韜」「虎韜」、

巻三に「豹韜」「犬韜」、

の、計六十編から成っている。
太公望呂尚が、周の文王・武王に兵学を指南する、という体裁のこの書物を紐解くことは、自分を鼓舞~僧人や稚児としてでなく、一個の士(さむらい)としての自分を鼓舞~するのに大いに役立つ気がした。
私の胸は躍ったが、問題はたずさだった。
六韜の大家の娘なだけではない。
鬼一法眼殿は、文人としての名声のみをお持ちなのではなく、剣術の実際においても、京八流の祖として、いや、もはや剣術の神としてすら崇められている御仁なのだ。
そんな文武両道の達人の娘がおいそれと、私~ただの僧房押し込めの稚児~に、ててごを紹介するとは思えなかった。
腕もたち、身体能力も高いのだ。
なまなかの知恵では見抜かれてしまうに違いなかった。
ではどうする……

私は素性を明かした。

源氏の忘れ形見。
平氏の庇護も受けた。
このまま僧になどならぬ。
私は武辺のものとなるのだ。

たずさは笑ったが、交換条件を出した。
あたしに打ち込めるようになったら、 六韜見せてやるよ。

修練が始まった。
軽業のように舞い飛ぶかの女性(にょしょう)を、参らせない限り六韜にはたどり着けぬ。
来る日も来る日も隙を窺い、打ち込むばかりの日々となり、それは遮那王の日々にも影を落とした。
何の気なしに背後から寄り来た稚児仲間の腹を、飛びすさりざま蹴込んでしまったのだ。
稚児仲間は、単なる過ちと許してくれたが、段脆だけは意味に気づいた。
切れのある蹴りの裏にある修練。
段脆は俺を空丸に連れ出し、いきなり襟の合わせを締め上げた。

仕返しのためか!
仕返しできるように鍛えてんのか?
ああっ??

ボコ殴りにされている。
殴っているうちに興も乗ってきたのだろう。
あの丸太のようなそれがみるみる膨らんできている。
きゃつは私を地に仰臥させ、両腕を自分の膝で押さえつけた。
下帯を弛めながら私に引導を渡す。

この際だからな、ちゃんと立場を弁えさせてやる。

顔の前で振り、口に、あろうことか口に押し当ててきた。
緩められた下帯の穢なさ、小用のにおい。
段脆への怒りと屈辱感が私の中にいや増す。
だがそのとき、私は見た。
上空から舞い落ちてくるたずさを。
激しい膝蹴りをかの者の背(せな)に見舞ってのけぞらせ、上がった顎の下、喉、耳から耳まで一気に、懐剣のようなもので切り裂いた。
溢れ出る血汐、声にならない声を上げ、口をぱくぱくさせている段脆はさながら鮒のようで、のど奥の幾つもの、管ようのものがヒュウヒュウと、気味の悪い音を奏でている。

このこにしたことの報いと思え。

血まみれの剣を手に、笑っているたずさは美しくも凄絶で、私は我知らず身がすくんでしまった。
そして、思い出してしまった。
たずさは私に起きたことをみな知っている。今日のことまでも。
それは男として、女人のみならず、たれ一人にも知られたくない事柄だった…


私は、たずさに手のひらを差し出し、懐剣を受け取ると、それを不意打ちに、一気にたずさの胸に突き立てた。

え。

戸惑うたずさの目の中を、意外に冷静に覗き込む自分がいる。
刻一刻と女の、知り人の命が流れ出てゆく。
苦しい息の中、たずさはちょっと悲しそうに笑み、やがて事切れた。

こが

と最期に言いかけた気がしたが、今はそれどころではなかった。
懐剣を段脆に握らせる。
茸狩りの女を段脆が襲い、手向かわれたので殺した。
ざっとそんなふうに見えるように整えたが、茸籠が遠い。
寄せようと、手をかけると、中から冊子がちらり見えた。
手に取ってみると、兵法書のようだった。
巻一。
巻二。
巻三はなかった。

それでも地球は回っている