私本義経 そして壇ノ浦
『平家物語』にはこうある。
門司・赤間・壇ノ浦は、潮流が逆巻いて流れ落ちる
と。
門司は豊前、門司ノ関(現北九州市)。
赤間は長門、赤間が関(現下関市)。
壇ノ浦は、その間、すなわち現在の関門海峡のうち、長門側沿岸付近をいう。
潮流が激しく逆巻き、並みの漕ぎ手では渡れぬ、渡せぬ難所である。
しかもそこで合戦をする。
西側に平氏、東側に源氏が陣を構えたのである。
もはや陸らしい陸を持たない海平氏は今、浮かんでいる約五百の船が全て。
我々の側は約八百五十。
もちろんこれが全てではない。
力を貸してくれる軍勢は、数果てしなくある。
かつては平氏に与していた者たちも、今はほぼほぼ源氏についており、熊野水軍率いる湛増~源行家を密告し、以仁王の令旨の拡散を妨害した当の本人である~すら、義経の援軍を買って出ているような具合だ。
世の流れがすべて、源氏に向いている。
東国に恭順している者ばかりではないが、院や公家衆を奉じる者は、洛中の警護者たる検非違使・義経に同心し、平氏のかつての栄華を憎んでいる。
渦も荒波も、最初は源氏の敵に回ったものの、戦いが長引くにつれ、潮目は味方に変わっていった。
寄せる波はいつか引き、引いていた波はいつしか寄すに転ずる。
そこへもってきて、ただでさえ優位である源氏に、さらに、ある一団が合流した。
それは、平家古参、子飼いなるはずの田口成良の軍。
壇ノ浦の潮目のただなかで、突然源氏に翻ったのである。
先の戦さで三郎が、田口の嫡男・田内某の三千騎を殺さなかったことがまさに、この場で生きたのだ。
その数三百艘。
千二百対二百。
帰る港もない平氏が、いよいよ多勢に無勢となったのである。
これでいよいよじっくりかかれる。
安徳天皇と三種の神器も返してくるだろう。
恭順するだろう。
長い戦いだった。
と。
範頼殿が述懐する横で、主が新たな弓をつがえる。
主殿。
何を。
ちょっと狼狽して吉内が問う。
弓を引き絞ったまま、主が言う。
院に願われたは“何とかせよ”である。
ここまで追い込めば滅亡も目前なり。
なれば。
待つのだ!
範頼殿のお声に構わず主は弓放った。
御免。
見事な飛翔。
将が一人転(まろ)ぶ。
大将がやんなさるなら。
三郎も弓放つ。
待て。
待つのだ!
弓やめい!
範頼殿が叫ぶが、放たれた矢は戻らない。
主差配の船は皆戦闘に戻り、さればとばかり、主差配でない船らも、手柄欲しさに射始めた。
この状況に、平氏すべてが浮き足立った。
皆殺しじゃ。
皆殺しじゃ。
降伏も許されぬのか!
許されぬらしい!
許されぬとわかれば、たれが恭順するであろうか。
ある艇は逃れようとむやみに漕ぎ、ある艇は漕ぎもせず流されてゆく。
ある艇はもはや兵も将も乗っておらず、女こどもが抱き合って怯えておるばかりである。
女性(にょしょう)を!
こどもを!
範頼殿は叫ぶが、配下の船すら指揮に従わぬ。
皆、手柄が欲しいのだ。
一人でも多く射て。
一つでも多く功を。
壇ノ浦は矢衾(やぶすま)となった。
女も、こどもも、漕ぎ手や水夫すら許されず射られている。
公達も。
公達
公達?
まだそんなに生き残っている?
そうなのだ。
兵、将、水夫すら、針鼠の如くなって死に絶えたというに、公達の多くがまだ無傷だった。
矢の当たらぬところに隠れていたからだ。
だがもう無事では終わらぬとわかって、女たちのように身投げを始めた。
ただ逃れたくて身を投げるものもあれば、念仏を唱え静かに入水する者もある。
だがいちばん滑稽だったのは総大将だった。
平宗盛。
重盛亡き後改めて、清盛の嫡男となった者だ。
平氏のほとんどが痩せ衰えておるというにもかかわらず、宗盛は劇的に肥えていた。
肥えた柔らかな肉体は、入水しても沈まず、ぷかぷかと繰り返し浮き上がる。
その上宗盛は水練ができた。
泳げるのだ。
死ぬどころではなかった。
みっともねえなあ。
ぼやきながら、熊手で宗盛を引き上げたのは、この出陣では本当に活躍しまくりの、伊勢三郎義盛なのだった。
それでも地球は回っている