私本義経 屋島合戦1

屋島攻め


さあてこれから屋島を攻める。
主が子らに頼んだのは、そう、噂の伝播。

源氏大勢来とる。
めっちゃ大勢来とる。

めっちゃ大勢などではない。
たった百五十騎に、近藤殿が出してくれた五十騎。
で、二百。
されど噂は風より早い。

めっちゃ大勢。
めっちゃ大勢。
大群。
怒涛の進撃。

変わってゆく言質。
実ともなわぬ風聞。
それを煽るは燃え盛る町村。

高松に。
放った火は。
人心乱すのに十分だった。
炎。
やんやの声。
蹄の音。
そして翻る、源氏の白旗の乱舞。

海上からの攻撃ばかりに備えていた平氏は、高松方面に上がる火を見、背後から、源氏の大軍が押し寄せてきたと思い込み、混乱状態に陥ったのである。
この、屋島の地に置いていた、仮の内裏を放棄して、惣門前の渚に並べられていた船に、我も我もと飛び乗って、我がちに沖へと漕ぎ出した。
かなり行ってからふと振り向けば、源氏の兵など二百も居らぬと気づいた…

おのれ義経っ!!

若い侍が弓引いた。
我も我もと幾矢も舞った。
凱歌を挙げていた我が軍は、ちょっとだけ不意を突かれた。
我が軍は常に主が先頭。
浮かれた三郎諫めて脇向いた弁慶殿。
馬がよろめいた吉内殿。
主に最も近いのは私と忠信で。
咄嗟に弟を脇に押しやり、私はこの身全身で主を覆った!!
針鼠のようにわが背(せな)に、突き立った矢は十二本。
全く以て律儀に、十二の場所が熱く痛い。

継信!!

主はお小さい。
我が身で覆えて良かった。
後は弟(てい)よ。
任せた…

今生の。
お別れでございますれば。

と、絞り出すように言うと、

継信!!!

半ば悲鳴のようなお声を振り絞られた。

主庇えたは永劫の誉れ。
二度めのお呼びかけを耳にいただきつつ、私の目の前は昏くなっていった。


変化(へんげ)


振り向いた時には佐藤兄は崩れ落ちており、駆け寄る前に主は飛んでいた。
身の軽さは昔から知っている。
されどこのときの主はまるで、鳥やむささびのごとく舞っていた。
大刀で叩きつけるように斬り下ろし、次の船に飛んで払い、次の船にまた跳ぶ。
跳んで斬って跳んで斬って跳んで斬って斬って斬って!
もはや主は人をやめていた。

すげえ!

三郎は賛嘆したが、あのような戦いぶりは鬼神でも長続きせぬ。
私はたずさに祈りながら、主と見紛う飛翔を一つして、やっとの思いで主を捉え、岸へと跳び戻った。
その間も矢は休むことなく双方から放たれ続けている。

放せ!
継信の仇を!!

無茶無謀は将のなすべき事ではない!
継信も喜びませぬぞ!!

主が拳を強く握る。

私は、私はっ!

継信が贖ったお命。
捨つるはここではありませぬ!

私が叱っておるうちに、日の傾いて、いつしか弓合戦も沙汰止みとなっていた。



沖に留まり揺れている平氏の船団はどこか不気味でもあったが、やがて一艘が此方へ進み出てきた。
舳先にたおやかなる、十八、九の女人が立っており、そのましろき手は直立する長い竿にかけられていた。
竿の先、高く掲げられているのは朱の扇で、真ん中に金色(こんじき)の日輪が描かれてある。
どうやら平氏はその扇を射よと煽っているらしかった。
先刻より位置的に遠く。
扇は小さく。
的はもっと小さい。
それでも弓を引こうとする主に、後藤実基なる旧臣が声をかけた。

日輪を射ることはなりませぬぞ。

その意はいかに。

主の問いに、後藤殿は耳打ちする。
たぶんこうであったろう。
射損じれば末代までの源氏の恥。
さらにあの日輪は、天皇家を意味するものでもあり申す。
射ても射ずとも厄介となりまする…

ふむ。

主は少しお考えになられた上で、

任せる。

とばかり後藤殿に弓を預けられた。

それでも地球は回っている