ふたたび~『銀の瞳』後譚~〔成人向有料作です〕

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あたしが生まれたとき、父も母も喜んだけれど、年頃になっても同じ花の仲間とつがおうとしないあたしを、いつしか両親は疎んだ。
妹は、同族と縁付いて、子々孫々栄えてる。
ただでさえ貧相なおまえがなぜ選り好む。
大激怒受けたけど、あたしの方がもっと激怒していた。
貧相じゃないわ!
あたしにはあたしの良さがあるのよ!
そしてあたしには、心奥からの熱い熱い想いがあったのだ。

さきの夜。
あたしをひと枝手折っていった、人のこどもとつがいたい。

はたして。
あたしの心からの願いは、親たちの激昂を招いただけだった。

人間ごときとつがいたい??
なっ、何て恥知らずな!!

激怒した両親は、あたしを生け垣の奥深くに隠し、近くには一面の金木犀をちりばめた。
恥ずかしいあたしが世の目に触れぬように。



ふたたび



見渡す限りの金木犀。
あまりの量。
あまりの香。
頭がくらくらする。
剪定と、肥立てですね。
持ち主の老人は、深く頷いたが、一言強く言い添えた。
一番奥の一隅だけは、掘り返したりしないでおくれ。

バランス上、ほんとは手を入れたいんだがなあ。
図面と現地を矯めつ眇めつしていると、

とうさーん!

翔がこちらに駆けてきた。

かあさんから弁当預かってきた。
俺の分もあるんだ。
一緒に食べよう。

奥まったところにあずまやがあったので、そこで二人で食べた。
やらかしてから産まれた子。
こんなに大きくなったんだな。
ちょっとまぶしく見つめていると、本人がちょっとはにかんだ。

何だよ。

いや。
大きくなったなあって思ってさ。

聞いたよ。
俺が生まれる前に死にかけたんだって?
俺生まれなくなるとこだったじゃん!
俺受験年だしさ。
落ちるなよ!?

お前こそ落…

忌み言葉だ。
やめとこう。
と。
いきなり翔が立ち上がった。

おじゃましてます。

一礼する。

誰。

奥様。
とうさん気づかなかったのかよ。

奥様?
見やったが、そこには誰もいなかった。

息苦しくなるほどの花の香で目覚めた。
家には一輪も置いてないのに。
金木犀も銀木犀も私には鬼門だ。
二十年そうしてる。
水を飲みに台所へいくと、スマホを持ったままの妻に出くわした。


帰らない翔を捜しにいく。
心当たりはあった。
あの垣だ。
九割五分金木犀で、あの一角だけ銀木犀。
二十年前のことが脳裏をよぎる。
でもあれは、実際にあったことじゃない。
衝撃を受けた脳が見せた、幻想的な淫夢にすぎない。
ただあの夢はひどくリアルで、ひどく妖しく、ひどく禍々しい印象だった…


果たして翔はそこにいて、あろうことか半裸に剥かれていた。
俺の子の若い肌を、忌まわしいものが這い回っていた。
枝だ。
葉と花を湛えた柔らかな枝が、人の手のように翔を、息子を辱めていたのだ。

止めろ!!

思わず手がでた。
走り寄っていって枝を葉を花を千切った。
植栽を大事にする手で、それらに狼藉を働いたのだ。
こんなことは人生初だ。
けれどそんなことに思い至らないくらい私は狼狽していた。
だがもっと驚いたのは私が引き千切った枝たちを見たときだった。
枝たちは再生し、翔だけではない、私までも絡め取ろうとしていたのだ。
ついに足首をくくられ、引きずり倒され、翔のそばから引き離されてしまった。

とうさん、とうさん、ああっ!

半裸の翔がのけぞる。
枝に、植物に、なすがままにされているのだ。

やめろ!やめてくれ!!

だってそうだろう?
私のたった一人の息子だ。
植物になんぞ奪われてなるものか!!

翔を返せ!
返せ!!

あがいて、暴れて、やっと片手が自由になって、ばたばたさせてたら何かが手のひらに当たった。
ライター…
俗に百円ライターと呼ばれる、使い捨てライターだ。

植栽を…焼くのか?
その道一筋の私が!?

逡巡する間にも、翔は若い精を貪られている。
翔、
と、
職業倫理。
翔、
倫理、
翔…


翔!!



私は叫んで





無残になった垣の修繕は、信頼できる仲間に託した。
上客を捨てた私は現場も業界も離れ、いまは植栽と一切関わりのない業種で働いている。
収入は下がったが、大切なのは家族だ。
幸い息子はあの晩の記憶を一切失っており、受験も、就活も、トントン拍子に進んだのだった。




ヘッドハンティングを受けてアメリカ西海岸で暮らすようになった息子に今日、数年ぶりに会える。
空港。
妻と連れ立って出迎えてみると女性同伴で、にこやかに近づいてくる。
これは?
生涯の伴侶か?


と。


私の歩みが凍った。
息子が連れてきた、異国の女性の瞳は銀だった。
そして身にまとう香りは間違いなく、あの銀木犀のものだったのだ。
いま、彼女は私の妻に、そして私に恭しいお辞儀をしている。
が。
私は感じている。
彼女は人ではない。
それどころか…



悪夢は終わらない。
どうやら永遠に…終わらないらしい…


※ 銀木犀(ギンモクセイ)の花言葉は、
  「初恋」「高潔」「あなたの気を引く」
  だそうです。


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