私はなぜ書くのか〔宮島ひでき様へのお答えとしての一作〕

そのはじめ、私はなぜ描こう(書こう)と思ったんだろう。
私はテレビっ子で、テレビもちょうど発展期、おもしろくなってゆく時代だった。
5才でウルトラQ、6才でウルトラマン。
ああ、漫画版のウルトラマン、覚えてる。
楳図かずおさんが描いてた記憶。
バルタン星人の回で、イデ隊員が怯えてた。
でもそのくらい。
同じ頃、三匹の侍も見てて、平幹二朗演じる桔梗鋭之介の紋付き着流しナンパ浪人を、かっこいいと思っていた。
そんな4才だった。
テレビばかり見てて、本も漫画もそんなに見てなかった気がするのに。
絵も上手じゃないのに。
なんで漫画家を思ったんだろう。


最初は多分小二


知多(※)から引っ越してきた私は、クラスに細っこい、知的な女の子を見つけた。
その子はいっぱい本を読んでて、シャーロック・ホームズなんてほとんどそらんじてた。
彼女の語りで聞いた『まだらのひも』の怖かったこと!
私は本を読み始めた。
と同時に、私はなぜか、漫画に詳しいことになっていて(←ここの理由がわからない)、なぜだか友人を集めて、漫画教室を開くことになった。
円にアタリをつけて、十字を入れて目鼻を置く。
自分自身がやってもいないことを指導して、まあこどものことだから第二回はなしに、私は全員に修了証書を書いていた。


三年。いよいよ謎は深まる


史上最強学校一厳しい男の先生のクラスになったけど、私については、漫画を描く、漫画家を目指してるという話が本格化している。
クラスの地味な、特に親しいわけでもない女の子に、将来は私と暮らしたい、だって漫画を描いてもらえるからと作文書かれて、私と漫画はどこで一体化したのか全くわからないままに、私に里子の話が持ち上がる。
渡される先は母の実家。
用途は農家の跡取りだが、こどもは簡単に騙せる。
私はその見知らぬ街で、初めてケント紙を手にするのである。


四年生。私はなぜか修羅雪姫を知っている


上村一夫の美しい描線。
スリの修行をするヒロイン。
チリ紙(今で言えばティッシュ)の積み重なりから、たった一枚のみ取り去る修行。
読んでるうちにやってみたくなり、若い担任教師の胸ポケットから紙を抜いたら万札だった・・・
即返したが、青年教師はめちゃめちゃ戸惑っていた。
(そりゃそうだ)
なぜ漫画家を目指すのか。
理由はない。
ただただめっちゃ若い漫画家としてデビューしたい。
小四の期待の新人。
それを目指していた。
この頃母が私にくれた本は、イギリスの児童文学『ひかりの国のタッシンダ』と、フランスの定番こども冒険ものらしい『ムスティク』ものの二本二話分が収められたもの。
(さばくへ行く、と、月へ行く、が採録されていた)
幻想的な作品と、冒険もの。
そしてこれらの本がらみで、私は誤植というものを知ったのだった。
タッシンダの名のあるべきところに、タンシング、タンダナンと入ってたり(『ひかりの国のタッシンダ』)、ジュスタンとルイしかいないはずなのに、ジュリアンという人が出てきたり(『ムスティクさばくへ行く』)。
こどもながらに何でだろうと思った。
その後新聞校閲の外注スタッフになったのも、こうした興味が影響したと思っている。


五年生。晴天の霹靂


両親が離婚した。
里子先は母の生家である。
そこは突然全くの他人の家となり、私は父に引き取られることとなった。
実はここにも漫画が影響していた。
私は母が好きだった。
いつもいつも母が好きだった。
なのに私はどちらについて行くかという選択の瞬間に、少女漫画的発想に陥ったのだ。

お父さんの世話する

小五少女のヒロイン魂。
いらぬヒロイン魂・・・


五年生一人では心許ないと考えた父は、施設に置いていた妹(小一)を連れ戻した。
つまり私は小五にして、父と妹の面倒を看ることになってしまったのだった。

父のもとに戻るということは、もとの小学校に戻るということでもあったが、史上最大こどもが増える直前の世代だったおかげで、クラスには、過去の私を知る人は少なかった。
転校生をからかったお調子男子をとっちめ、クラスの中で一番かっこいいハーフ男子を子分に持った(詳細は別記事にしました※※)私は、ある種の独自存在となり、この意外性は以後かなりの間続くこととなったが、そんなことより悩みの種は、清く正しいハイミス担任だった。
今にして思えば、全然ふつうの先生だと思う。
でも、悲劇のヒロイン(笑)にとっては、厳しくも意地悪な女教師だった。
クラスの母死別君とよく比較された。

Sは悲劇ぶらずに積極的に弟の面倒もみてる。
比べてあんたはどうだ!

悲劇のヒロインぶってる心根は、先生にはお見通しだったのだ。
でも当時の私は、先生が小うるさくて依怙贔屓してると思ってた。
こどもなんざホント浅はかなものなのだ。


小六。新しい母


これまた青天の霹靂である。
実母より四つ若いこの義母は、勝ち気で美人で、職業は看護婦(当時。今で言えば看護師)さん。
父には叱られ怒鳴られ殴られていたので、人(特に大人)には期待していなかったのだが、この女性はすごかった。
叱る時は厳しいが、この人はなんと、誉めてくれるのだ。
叱られてばかりだった人生に、小さな輝きをくれた人。
お姉さんと呼んで四か月。
私は、スムーズに、彼女を母と呼ぶようになった。
この結婚が新しい離婚に変わってしまうことを、このころの私は当然知らなかった・・・・・

              未完


このまま続けていくと、星山さんとの出会い、T谷プロ入り、独立、と、業界構造話になっていってしまうので、小学生編で終了といたします。
人生の機微、出会いの妙。
人生の出入り。
私がなぜ書くかはわからないままでしたが、テレビ第二の黎明期をテレビと歩んだ者として、私は、書いて逝かなくてはならないのだと思います。


新しい母は素晴らしい人でしたが、世の中の考え方の常として、

漫画家になる気でいますが、無理だとは思ってます

と、他父兄に話しているのを直に聞いています。
才能はないと思っていたようです。
実際漫画家にはなれませんでした。
大当たりです。

7才から20才まで、漫画家になるとだけ、独り決めしていただけでした。
絵は結局うまくならなかったし。

ただ、私より絵の上手な子たちがみな、

趣味でいい

プロにはならない

と言い続けるのが不思議でした。

△△(私です。その時々、二文字だったり、三文字だったり、様々にペンネームをつけていた。私であることなんか、誰にも知られなくてよかった。ペンネームで有名になりたかったのです)は、私たちの分までがんばってね

と、何人にも託されて去られました。
何でだとおもいつつ、情熱が消えたのは、恋愛していた中三時代だけでした。
結局漫画を諦めて、ストーリーテリングだけ残して、シナリオライターになったという顛末。

揺れることもなく、ただただ自分の有名税を切望して五十五年。
今なお無名のままの私がいます。


知多以前の記憶がないです。
生まれた所は豊川らしいですが。

※※



それでも地球は回っている