ヒールのいない作品だった

弱虫ペダルめっちゃはまりましたけど
作者さんの手嶋猫かわいがりにがっくりなって以来離れ気味でした
でもって伝え聞いた川田の一件
シクロ編もあれれだったので、(青八木も卒業年だし💕)心おきなく離れてるんです
今日たまたまkanayaさんの記事読んで
あー、そこ!そこ!と思ったので
こちらに

ほんとペダルはヒールのいない作品でどんな奇矯な子にも理由、奥行き、それを押して余りある魅力がありました
それで困って捏造したのがうちのアリシマです


アリシマ〔kanayaさんに捧げます。いらんとは思うけどw。二次創作なのでもちろんここだけで(^^;)〕

 そうだな。
 やはりいちばん魅かれたのは通司さんかな。
 あの頃の総北はひどく俗っぽくて、巻島の登りを笑うとか、田所が遅いのをバカにするとか、そういう先輩が多かった気がする。
 古賀をちやほやするそのロで、青八木や手嶋には冷淡なセリフを吐く。
 二人が辞めずにいてくれたことだけでも、奇跡に近いんだ。
 あまりにも依怙贔屓がすぎるんで、古賀が、優遇されてる筈の当の古賀が、俺たちに言ってきた。
 俺たちも腹に据えかねて、一年と一緒に三年に食ってかかったら大乱闘になった。
 ピエール監督が笑い飛ばしてくれたから、お咎めなしで済んだけど、部内まっ二つになってしまって、三年の先輩たちは全く出て来なくなった。
 カントクに相談したら、
「アナタがキャプテン代行ナサイ」
って。
 いきなりキャプテン代行なんてムリですっ!
 叫んでるところへ寒咲さんが来て、キャプテンやるならトレック安くしてやるって…
 トレック!
 巻島のTIME、田所のスペシャライズド、みたいに、俺も自分のトレードマークみたいな自転車が欲しくて、ひそかにトレックに的を絞ってたとこで…

 釣られた…


 名ばかりでもキャプテンだ。
 誰にも負ける訳にはいかない。
 山しか出来ない巻島と、酘素音速を産み出しつつあった田所、轟音の古賀に引いてもらって、自分の走りを探した。
 一年に引いてもらってる俺を、嘲りながら帰宅するサボリ三年たち。
 でも恥ずかしくはなかった。
 努力は裏切らないからだ。
 自分の練習に熱中しすぎてる時は、田所が一年を見てくれていた。
 耐えることを知ってる俺たちに、一年はしっかり食いついてきてくれた。
 一年二年だけで千葉を取ったとき、三年は俺たちを校舎裏に呼んだ。
 努力は認めてやる。
 だが俺たちは最後のインターハイだ。
 ここは譲るとこだろう。
 はいそうですかと言う俺たちなわけはなかった。
 右も左もわからない中を、友情と工夫でここまで来たのだ。
 だが俺たちは確かに駒が足りない。
 田所、巻島、古賀と俺。
 手嶋と青八木は仕上がらなかった。
 三年がいてくれれば優勝も狙える…

 俺は断った。
 残る二人を二年から選び、練習を強化した。
 青八木たちにはサポートに回ってもらい、本番まであと三日という日にその先輩は現われた。
 有島達弥…

 「俺と峰ヶ山走れ。おまえが勝ったら下級生チーム認めてやる」
 認めてもらわなくても代表は俺たちだ。
 とやかく言われる筋合いはない。
 けれどここで戦っとかないと、ずーっと言い続けられるに違いない。
 オールラウンダーの有島さん相手なら、戦うのはやはり、オールラウンダーの俺だろう。
 巻島と田所の反対押し切って、古賀にスタートフラッグ振らせた。
 とび出した俺のトレックを、さりげなくさりげなく牽制してくる。
 うまい走り。
 だが魂がない。
 こんなにうまいなら、自走すべきだ。
 力を相手の牽制に費やすべきではない。
 ぴったりついて隙を窺う。
 離れない。
 絶対離れない。
 有島さんはイラ立ち、ケイデンス上げたりダンシングしたり、ありとあらゆる小技を駆使するが、仕掛けられれば仕掛けられるほど、有島さんの弱点が目についてくる。
 敵が見抜ける…
 自分自身の力に驚きおののいていたまさにその時。

「金城!!」

 通司さんの声とともにブレーキングした俺の眼前を、有島さんのバイクが滑っていった…

 激突音。

 バイクは路側帯に。

 本人はガードレールの向こうに。

 よろよろと立ち上がる様が目の端に入る。
 通司さんは店のバンを俺の傍らに停め、下りてつかつかと有島に歩み寄った。
 ジャージの襟を掴んで威嚇する。
「いい加減やめないか有島。おまえは総北の、いや、全自転車乗りの恥さらしだ」
「自分が足やられたからって、全部俺のせいすか寒咲さん。他校のやつなんか庇うから」
 通司さんの顔色が紙のように白くなる。
「きさま一っ!」
 通司さんの拳より先に俺の拳届け!
 間に合った。
 有島さんは充分な距離ふっとんだ。

「足…そういうコトだったんですね」
「全部じゃないさ。酷使しすぎてガタはきてた。有島はとどめをさしたにすぎない」
「俺…通司さんの走り好きでした。ファンでした」
 唇を噛む俺に、先輩は、テレ臭そうに笑って言った。
「奇遇だな。俺もおまえのファンだ」
「!」
「おまえならやれる。おまえたちならやれる。だからインターハイ。頑張ってこい!」
「はいっ」

 そして十八位に終わった夏。
 でもあれ以来、総北自転車競技部にヒールバイカーは現れていない。
 願わくはこの伝統の永劫維持されんことを。



書いたのは20141125
川田の再出のずっとずっと前
三年次ペダルがこうなっていったなんて
拙作ごときになっていったなんて
悲しすぎます


※ この頃はw、ロードにスタンドがあると思い込んでたほど、ほんとにロードバイクを知りませんでした
  だからあの年の総北のゼッケン171も、17位だか18位だかよくわからないのです←情けない

※※ ちなみに川田は自作では、イイヤツに使いました
  だからよけい悲しいです(T_T)

それでも地球は回っている